周りの大人みたいに、ひとつながりに剥きたい。小さい頃は、それだけを考えておそるおそる指に力を込めていました。途中でちぎれてしまった時の悔しさ、恥ずかしさ。ちぎらずに剥けるようになると、なるべく皮が八等分になるように工夫して、タコに見立てて遊んだものです。缶詰のように内皮のない状態で食べようとして、手はベタベタ、実はバラバラの惨事を引き起こしたことも。皮を剥く前に外側から揉むと、シブ(外皮と内皮の間の白い筋)がキレイに取れると教えてくれたのは、誰だったか。自分なりにコツを掴んだと思ったら、シブは体にいいからそのまま食べた方が良いと聞いて、ショックを受けたこともあった。
そんなこんなを経て、いつの間にかほとんど何の努力もせずテキトーに剥いて食べるようになっていました。ヘタの逆側から親指を入れて、そのまま外皮と内皮の間を裂いては剥き、裂いては剥きを四回か五回繰り返す……おそらく最も一般的な剥き方だと思います。しかし。
「はたしてヘソに指を突っ込まれ、一枚一枚剥かれることをみかんは望んでいるだろうか?」
おおひなたごう先生の『目玉焼きの黄身いつつぶす?』を読んで、久しぶりに自分の剥き方に疑問を感じてしまった。目玉焼きや納豆ご飯、カレーやちらし寿司等々、身近な食べ物の食べ方をめぐってのロマンを描いたマンガです。ミカンについては、まず外皮ごとまっぷたつに割る、という食べ方が紹介されていたのです。まっぷたつにしてヘタの側から皮を剥がしていくと、
「ここまで奇麗にシブが取れる」
これは試してみなければ。
第四十九回・蜜柑
2014年1月30日
初詣では、今年もおいしいものをたくさん食べられますようにと祈願しました。そんな佐藤和歌子がお届けするショートコラムです。久しぶりに真剣にミカンの皮を剥きました。