疑心暗鬼

どうして芸人になろうなんて思ったのか—プロローグ 1990年、福岡

「どうして芸人になろうと思ったんですか?」芸人になって24年、一番多く投げかけられたこの質問に、いつも心の中で聞き返す。「どうしてみんな、芸人になろうと思わなかったんですか?」ーー 時はバブルまっただ中。福岡の片隅で、時代の高揚感に背中を押された少年が抱いた、芸能界への夢の行方は? 『年齢学序説』(幻冬舎よしもと文庫)から4年。待望の新連載、博多大吉的『成りあがり』、ついにスタート! 博多大吉さんのみなぎる「後ろ向きなやる気」を語ったインタビューも併せてお楽しみください。

 1990年。バブル経済が終わろうとし、後に「失われた20年」と呼ばれる時代が始まるなんて想像もしていなかったあの頃。いや、正確にはそろそろヤバイんじゃないかというニュースキャスターからの忠告を、そこら中から流れてくる「踊るポンポコリン」や「浪漫飛行」が揉み消していた、そんな1990年。

 興奮した実況アナウンサーの金切り声、けたたましいF1のエンジン音、ベルリンの壁崩壊によるドイツ人の歓声、いつの間にか始まっていた湾岸戦争の爆撃音などが入り混じった深夜テレビを背中でぼんやりと眺めながら、何が現実で何が非現実なのか、そりゃあ全てが現実だと頭では理解していても、どうにも身体の車体感覚が狂っていた、そんな1990年。

 生真面目などこかの誰かが始めた撤収作業を遥か遠くに聞きながら、僕は九州の福岡という土地で「芸人」になっていた。

「どうして芸人になろうと思ったんですか?」

 あれから24年。数え切れないほど受けてきたインタビューで一番多く投げかけられた質問はこれだ。そして今でも、こう聞かれ続けている。先方さんにしてみれば記事にするつもりも特にない、いってしまえば本番前のアイドリングトークのような質問かもしれないが、そう聞かれる度にこっちは言葉を足してしまう。

「どうして(あなたみたいな才能のない人間が)芸人になろうと思ったんですか?」
「どうして芸人になろうなんて(そんな図々しいことを)思ったんですか?」
「どうして芸人になろうと思ったんですか?(明日には消えているのに)」

 これは被害妄想ではない。常に己の資産価値を俯瞰で査定しなければならない芸人という生業の、本能が反射的に立ててしまう仮説なのだ。聞かれる度に下がりかけたテンションを鼓舞しながら平静を装っているが、とはいっても、この質問が苦痛かといえば、そうでもない。むしろ常に自分を初心に返してくれるのだから、ありがたい問い掛けである。

 さすがに言い飽きてはいるが、僕は答える。心の中のマニュアルを開き、付箋を付けたページを指でめくりながら、24年前のあの日をもう一度噛み締める。

 僕に物心がついた頃、もうドリフターズがいた。土曜8時のスケジュールは生まれながらに埋まっていたのだ。

 やがて欽ちゃんと出会い、選択肢は2つに増えた。

 その二択に飽きてきた小学校の高学年で空前のMANZAIブームが起こり、それがひょうきん族、笑っていいとも、元気が出るTVへと進化した。

 それらを夢中で追いかけていた中学校時代、思春期という向かい風がそのスピードを緩めさせはしたものの、すぐにとんねるずが現れ風向きを変えてくれた。

 そのまま乗り切れるかと思われた高校時代、異性への尋常ならざる興味という、人生最大級の壁が立ち塞がったが、突如として関西方面からダウンタウンという彗星が登場。結果的に、異性よりもやや高い壁をこしらえてくれたのだ。

 ここまでわずか18年。そしてこれが僕の人生、最初の18年間なのである。

 ありがたいことに、ドリフも欽ちゃんもMANZAIブームも、ひょうきん族もいいともも元気がでるTVも、そしてとんねるずもダウンタウンも、それら全てが局地的なブームではなく、日本中を席巻する大きな社会現象だった。そしてそれら全てが奇跡的に連鎖した。一瞬たりとも途切れる隙がなかったのだ。

 つまり、この世に生を受けてからずっと、僕たちの世代には「お笑い」という大衆娯楽が歴史上最速のスピードで併走してくれていたのである。

 もちろん、いつの時代にも「お笑い」は横たわっている。ひとつ上の世代にも、ひとつ下の世代にも「お笑い」は併走したことだろう。当然、芸人になろうと考える人間は一定数いただろうし、その大半が事前にあきらめたであろうことも容易に想像できる。しかし僕たちの世代には、ひとつだけ違いというか、仮に芸人を目指すかどうかという人生の岐路に立った時、現実を見つめ直す前にその背中を強烈な力で押してくれるような、そんな一種のアドバンテージがあったのだ。

 それが、バブル経済がもたらした「錯覚」である。

 僕たちが将来への不安を抱えだした頃、日本中のオトナは浮かれていた。世界中の不動産や美術品を買い漁り、世界中から非難されてもどこ吹く風。YENの力ひとつで世界中を黙らせていたあの頃の日本は、間違いなく世界一の経済大国だった。我が家でその恩恵を感じることはなかったものの、その気になればいくらでも働けるということは、田舎でもポツポツと目立ち始めたコンビニに置いてある、電話帳ほどの分厚さを誇ったアルバイトニュースを見れば一目瞭然だった。新卒の大学生を企業が抱え込み、人材を奪い合う光景を見ていれば、年端もいかぬ若造が自分の将来を見誤って当然であろう。

 そんな時代だったら、芸人を目指すのも悪くない。

 ダメで元々、売れればラッキー。売れなければさっさと辞めて、どこかに就職すれば済む話だ。まるで近所の趣味サークルに入会するような軽いノリで将来を決めてしまっても別に構わないし、むしろそっちの方が格好いい。そんな、人生なんてどうにでもなるという甘い見通しこそが、バブル経済が我々の世代に刷り込んだ「錯覚」であった。

〈おいしい生活。〉〈くうねるあそぶ。〉〈死ぬまで飽きないスリルをください。〉メディアから発信されるこれらのキャッチコピーを無意識のうちに受け止めていた僕の思考回路は、いつの間にか停止していた。

「どうして芸人になろうと思ったんですか?」

 心の中で、僕はいつも聞き返す。

「どうしてみんな、芸人になろうと思わなかったんですか?」

 今日も平均株価は最高値を更新したらしい。意味はよくわからないけれど、とにかくみんなお金を持っているんだなあ。銀座ではタクシーを捕まえるために一万円札を振り回すらしいけれど、福岡の中洲でもそうなのかな。それにしても、今日のテレビも面白かった。明日はアレがあるし、明後日はアレがあるから絶対見なきゃ。しかし芸能人って、クイズに正解すれば豪華な賞品を貰えるんだから、羨ましいよ。外国にも仕事で行けるし、美味しいものいっぱい食べられるし、何よりも色んな芸能人と友達になれるんだから、絶対楽しいに決まってる。そういえば、あのアイドルは僕と同じ年らしいぞ。いいなあ、僕も芸能人になりたいなあ。まあでも、なれるわけないか。だったらせめて、同じ世界に行ってみたい……。

 日本中に蔓延していたバブルの高揚感は、まだ何も生産していない未成年の妄想をいたずらに加速させた。日本の企業がニューヨークのマンハッタンやハリウッドを買い占めているというニュースが当たり前だったあの頃に、たとえば地元の役場や中小企業といった「僕が普通に目指すべき就職先」を選ぶことは、なんだか損をしているようにしか思えなかったのだ。

 だとすれば、漠然とした希望でしかないけれど、僕はテレビの中に行ってみたい。クイズで商品は貰えなくても、憧れの芸能人や大好きな芸人に会ってみたいし、いつか海外ぐらいは連れて行ってもらえるだろう。

 テレビの中で働けたら、苦労なんて感じないと思う。だって毎日がお祭りみたいなもんなんだから、たぶんツラかったりキツかったりもするだろうけれど、圧倒的に楽しいハズだ。僕だってあの人たちみたいな楽しいオトナになりたいし、ならなきゃ損だ。

 日に日に募る芸能界への憧れは、次第にテレビの見方を変えていった。

 どうやらディレクターという立場の人が番組を作っているらしい。その下にADってのがいて、一番上がプロデューサーか。ん? この構成ってなんだろう? 変な名前の人もいるけど、芸人かなあ? カメラマンや大道具は専門職だから無理っぽいけど、この構成ってのにはどうやったらなれるんだろう?

 番組の最後に流れるエンドロールを何回も巻き戻しては、僕は数年後の自分に、期待しかしていなかった。

 そろそろ将来を見据えた進学先を決めなければならない、そんな高校2年の春。ごく普通の進学校に通いながら芸能界のことばかりを考えていた僕は、誰にも言わずに卒業後はテレビ局に就職できるという触れ込みの大学や専門学校の詳細を調べては、タメ息をついていた。

 自分の学力という問題はさておき、バブルにかすりもしていない我が家の懐事情では、どう考えても無理なことがそこには必ず書かれていたのだ。

 どれもこれも、所在地は東京—。

(撮影:隼田大輔)


 芸人への夢を叶えたあとも、成功への道のりは決して楽なものではない……。芸人、アスリート、歌手、漫画家、プロレスラーからアニメの主人公まで、成功した人たちを調べに調べた結果、成功と年齢の驚くべき相関関係が見えてきた! 大吉先生が説く、人生の転機と成功の秘訣(妄想)、ぜひお手にとってご覧ください!

年齢学序説 (幻冬舎よしもと文庫)
年齢学序説 (幻冬舎よしもと文庫)

この連載について

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博多大吉

「どうして芸人になろうと思ったんですか?」一番多く投げかけられたこの質問に、いつも心の中で聞き返す。「どうしてみんな、芸人になろうと思わなかったんですか?」ーー時はバブルまっただ中。福岡の片隅で、時代の高揚感に背中を押された少年が抱い...もっと読む

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コメント

hitomicubana 毎回思うけど、大吉先生のこの文章力、やばいよなぁ。 ほぼ修正なしで書いてるんやから......。無料なのでよかったらどうぞ。 9ヶ月前 replyretweetfavorite

clarchuman わたし華大さん大好きなんだけど、これ面白いから読んでみてほしい。文章がすごく良いの。こういう小説だと思って読んでも面白い。 2年以上前 replyretweetfavorite

omecojp 大吉先生の連載、文章がとてもよいのでみんな読んでほしい。いつか書籍化してくれるかな。https://t.co/adgxlztojG 2年以上前 replyretweetfavorite

shimodakohei 文章面白い。 http://t.co/01Wriul9zq 約3年前 replyretweetfavorite