笹浦耕[14:52−14:59]
『じゃあゲームをしよう』
やつは、つまりファブリの野郎は、楽しそうに言った。
しょーがねーでしょ、そういうことになっちゃったんだから。これから桜新町に行くからとか言いやがって、ふざけんなって言い返してたら、いつのまにやら。
このファブリって野郎、とんでもなく口先うめーやつだぞ。
「どんなだよ」
『〈洞窟ゲーム〉っていうんだけどね』
ファブリはルールを説明した。取引条件も決まった。オレの勝ちなら、やつの桜新町ピクニック計画(ヤクザがらみの事情でトラブったミツハシと、とばっちりで人質になってるらしい〈トウコ〉さんを連れて)は、中止になる。負けなら、やつはすぐにやって来る。
なにしに来るかは、考えたくもなかった。
このマンションにいきなり来れるわけじゃない。つーかファブリの野郎は、しのぶさんのマンションを知らない。オレ、そこまで〈トウコ〉さんに詳しく伝えてなかったからだ。
でも、すげー嫌な予感がした。
電話番号はバレてる。しのぶさんが電話帳に自分の番号載せてんなら、住所は一発でわかる。オレの予想では、きっと載せてない。女子大生と女子高生の二人暮しだし。けど、他に調べる方法はあるかもしんない。裏で出回ってる名簿とか、ハッキングとか、とにかくまっとうな社会人には縁のなさそうな手段で。
だから、考えなきゃいけねー問題は一つ。──このファブリとかいう野郎は、はたしてまっとうな社会人でしょうか、それとも違うでしょうか?
『じゃあ始めるよ。目をつむって』
「へいへい」
オレ、目をあけたまんま。しのぶさん宛のメモを大急ぎで書いてたからだ。
『……笹浦君、目をあけっぱしなのはインチキだよ』
「閉じてるって」
『あ、そう?』
「ひっかけようったって、そうはいかねーよ」
あぶねー。思わず『なんで目ぇあけてるって分かるんだよ!』とか言っちまうとこだった。
くそ。
こいつ、まじむかつく。
『へえー。君、なかなか頭がいいねえ』
「うるせー」
オレ、さっきの杏奈との電話のことを思い出した。同じ言葉でも、状況によってこんだけ意味が違ってくるんだよな。
『まあいいや。じゃあ続けるよ』
野郎の声が、しょーもない洞窟の中身を描写していった。
『……そしてしばらく進むと洞窟は二股に分かれていて、分岐点にはこんな立て札が立っている。
──〈いつの世にも絶対に正しい真理は、三つだけ存在する。
第一、命よりも大切なものは……ないなら右へ、あるなら左へ進め〉
さて、どっちに進む?」
「…………左」
オレ、たっぷり三十秒は時間をとった。
文字どおり体中から力が抜けてた。どんな問題がくるのかと思ったら。なんだよそれ。でもその三十秒のおかげで、オレはこのとんでもねーゲームの狙いが理解できてた。
なんで分かるかって?
だって、こんな性格診断みてーな質問、正解が何なのかは回答側には絶対分かんないでしょ。つーか、そもそも正解があんのかどうかも怪しいもんだ。
しかも判定すんのは、出題してるファブリのほう。
てことは、野郎はいつだって「はい間違い! 君の負け!」って言えるわけだ。すると何がおきるかというと……そう、オレがカーッとなって「なんでだよ!」って叫んじゃう。
そのとたん、ゲームはほんとに野郎の勝ちになるんだ。
くそ。
こうなりゃぜんぶ左でいってやる。
それよりもメモだ、メモ。
『ほほお。笹浦君、君は面白い子だねえ。そこで左かあ。これはおじさん、ちょっと驚いちゃったな。でも君、ほんとは迷ってたわけじゃないよね。そうとも。ここで左を選べる人間は、そもそも最初から迷ったりしないもんだ。じっくり考えてるふりをして、何か企んでるね?』
「うるせーな。次の質問は何……」
『え?』
「……だろうと、オレは簡単に解いてやるぜ。さっさと来な」
うわ、あっぶねー!
ちきしょう、もう絶対無駄口叩かねーぞ!
『君はさらに洞窟を進む。今度は下り坂になっている。ランプの灯は、ゆらゆらとゆれる。しばらくすると、第二の分岐点がある。立て札にはこう書かれている。
──〈絶対に正しい真理、第二。
この世に、絶対正しい真理なるものは……あるなら右へ、ないなら左へ〉
どっちに進む?』
「左」
知るかボケ。
『え? ほんとにそれでいいの? 立て札に書いてあるのは〈絶対に正しい真理〉なんだよ? なのに左ってことは、君はつまり自分で矛盾を──』
「立て札に書いてある内容が〈絶対に正しい真理〉じゃねーってだけの話だ」
『というと?』
「立て札の文章が正しいなら、たしかに矛盾はおきる。けど、それがもともと正しくねーなら、べつに関係なしだ。クレタ人が〈わたしは嘘つきです〉つっても、もともとクレタ人が本当のことしか言わねーっていう条件がなかったら、矛盾にはなんねーだろ」
『でもクレタ人がみんな嘘つきで、その一人が〈私は嘘つきです〉って言明した場合は、やっぱり矛盾がおきるんじゃないかな。よく考えてごらん』
「違うね。オレは、クレタ人が必ず嘘つきだなんて言ってねーよ。クレタ人に嘘つきとか本当しか言わねーやつとか色々まじってれば問題がおきない、って言ったんだ」
『ああなるほど。すばらしい論理だ。おじさん嬉しくなっちゃうよ』
あ、くそ。ついつい会話にのっちゃってるよ。こういう論理パズル、嫌いじゃないんだオレ。
この野郎、オレの性格読み切ってやがる。
「知るかボケ」
『今の〈知るか〉は質問かな?』
「
『あはは、それはいいね。その抜け道は考えなかったな。君の機転に免じて、今のはセーフにしてあげよう。さて、それではいよいよ最後の分岐点だ。君の前に三つ目の立て札がある。そこに書かれているのは……』
「────」
『……〈真理、第三。実は今おじさんたちは車に乗って桜新町に移動中で、このゲームは単に時間稼ぎだったんだけど……って言ったら、君は怒るかな?〉』
「!」
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