枯野透[13:30]
「だいじょうぶだよ」
和室の隅に正座しているアキホさんに、僕は声をかけた。喉が荒れてるのがわかる。鼻もつまってる。藤堂さんが僕を強引に寝かしつけたのは大正解だったわけだ。ちなみに彼は「用事ができた」と言いのこして、五分前に出かけたばかり。もちろん僕らを監視する自警団員を、たっぷり縁側に配置してから。
僕への返事の代わりに、アキホさんは首をふった。横に二回、それから縦に一回。
彼女が何を気に病んでるのか、僕にはわかっていた。あの財布のことだ。ショックじゃないといえば嘘になる。そりゃそうだろう。味方に裏切られたようなものなんだから。誰だって、そう感じるに決まってる。自分は裏切られたんだって。助けようとした相手に、後ろからばっさりやられたんだって。
誰だって。
でも、それだったら、誰だってあの場合アキホさんと同じことをするんじゃないだろうか?
魔が差して財布を
それが善いことだとか悪いことだとか、道徳的な話をしてるわけじゃない。盗むのは悪いことだ、それは変わらない。でも反射的に、本能的に、後先をあんまり考えずに、そういう時は証拠隠滅しようとするもんじゃないんだろうか?
だとすれば──いっぽうで「誰だってそうする」というんだったら、もういっぽうでも同じ基準をあてはめなくちゃ不公平だ。裏切られたと感じるのが「当たり前だ」というなら、裏切ったのも「当たり前だったかもしれない」と考えなくちゃ、少なくともその可能性を吟味してみなくちゃ、バランスがとれない。そう考えるのが嫌なら、「誰だってそうするのが当たり前」なんて基準は使っちゃいけない。
僕は、「誰だって」という言葉を信じない。
「どうせ」とか「そうに決まってる」という言葉を信じない。
「当たり前」という言葉を信じない。
誰だって足し算くらいは楽にできるだろう──誰だって自分の足でまっすぐ歩けるだろう─努力して競争するのは当たり前だ──世の中に勝ち組と負け組ができるのは当たり前だ─どうせあいつは何をやっても駄目なやつなんだ。
そんなのを僕は信じない。
弟の暁を見ていて、父さんや母さんを見ていて、たくさんの人を見ていて、僕はそんな言葉を信じることができない。
だから僕は、まず大きく息を吸う。深呼吸。そしてゆっくり考えようとする。
これは僕のおじさんが教えてくれた方法だ。
──人間、急いだってロクなことにはならんよ。人生はたしかに短いけど、急いで終わらせるには長すぎる。
それはおじさんの口癖の一つだった。
おじさんは、いわゆる「親戚の中の変わり者」だ。どんな一族でも、一人くらいはそういう人がいるんだと思う。法事とか正月に親戚一同が集まる時には必ず「まったくあいつには困ったもんだ」とか「いつになったら身を固めるんだろう」とか、話の種にされる人。
でも、僕にとってはどんなことでも相談できる面白い人、という印象しかない。大人びてはいても、大人ぶったりはしない。子供みたいなことで楽しめるけど、けっして子供じみてはいない。
おじさんは、たとえば月のきれいな夜に二階の物干し台で僕と弟を横に座らせ、あるいは冬のぬかるむ道を歩きながら、まるで目に見えない本を読み上げるみたいに、長い
──急ぐことと頑張ることは、似てるようでずいぶん違うんだ。世の中は例外でいっぱいだ。当たり前だと思ってたことが、一晩でひっくり返ってしまうこともある。なんでもかんでも即座に説明つけられると思ったら大間違いだよ、透君。
昔は、おじさんのいってる意味がよく分からなかった。なんだか、体のいい大人の言い訳みたいに聞こえたからだ。実際、同じような言い訳をする大人がいないわけじゃない。でも最近の僕は、すこしは分かってきているような気がする。おじさんのいろんな『口癖』の意味も。そして、同じような言葉を言い訳に使う人と、そうでない人の見分け方も。
僕はきっと、一つのことしか信じてない。
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