私市陶子[12:45−13:08]
私、いささか腹が立っていたのです。
マーチさんが意見を変えて私を離れに入れた理由は、わかってみれば簡単なことでした。離れの居間にたどり着きましたところ、そこにはどなたもおられません。ただ、一枚のメモが残されているだけでした。
シエラ・マイクより
キロ・タンゴへ
本部での連絡中継役と
ハードディスクの解読
よろしくお願いします
マーチさんは、ノブさんを追いかけて、正門から出ていってしまったのです。そのことに気づくまでに、私は数分を費やしました。
実のところ、どこかに『
先生。私ときたら目眩がして、もうどうして良いやら分からないくらいです。
笹浦耕[12:58−13:08]
しのぶさんがキッチンのほうに出てきたのは一時ちょっと前。ジャズの曲っぽいのをハミングしながら、こっちに背中むけて昼飯の準備してる。
って、いやほんとに、まじでリビング&ダイニングルームにずーっと背中むけっぱなしなのよ。
「あのさ、しのぶさん」
「だめだよ。言ったでしょ、わたし決めたの。徳永くんの一件がかたづくまで、コーくんとは顔あわせないって」
だそーです、はい。
だから冷蔵庫と流しと食器棚のあいだを行き来するのも、ずっとカニ歩きと手探り。
「あぶないよ、しのぶさん」
「わかってるわよ」
「そこ、
「……わかってるわよ」 刃すれすれで、しのぶさんの指がひっこむ。
頑固っつーか無駄に義理堅いっつーか。
「手伝おうか?」
「いらないわよ」
「ふーん。じゃあ手伝ってよ、こっち」
「は?」
「こっち。徳永の捜索。他に頼れる人がいなくってさ。しのぶさんじゃなけりゃダメなんだ」
「…………」長めの沈黙。イヤな予感がするぞ。「……なんでわたしじゃないとダメなの?」
「そりゃもちろん」
さーて困った。いきなりこうくるとは思ってなかったぞ。オレ、手もとのメモを見直す。そうか、『他に頼れる人がいない』だけでよかったんだ。
くそ、急いでなんか理由を思いつかねーと。やばい、これはやばい!
「しのぶさん、バイクもってるでしょ。それだと移動が速いし、いざって時に徳永つかまえんの楽じゃん」
「今日は混んでるから、たいして違わないわよ。大晦日でしょ」
「そうなの?」
「そうよ。初詣暴走もあるし、かえって危ないわよ」
「そーかなあ」
「そうよ。それにね」トマトの大軍が、ドカドカと俎板に積み上げられる。「今日は妹の看病しなくちゃいけないから、出歩けないの。どうしても」
……いや、その妹さんが『しのぶさん誘導作戦』の参謀なんですけど。
オレ、黙ってしまった。
しのぶさんの口にした一言が、ちょっと気になったからだ。看病しなくちゃ。
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