妖星伝(半村良)中編

半村良著『妖星伝』評、中編です。一見、非常に質の高い娯楽小説として読める本作ですが、その原点には作家・半村良のある感情が込められていました。他の作品では「考えや主張を読者に投げかけていた」という半村が、本作に描こうとしたものとはいったいなんだったのでしょうか。

幸せな人々を理由なき不幸に陥れる鬼道衆

完本 妖星伝(2)神道の巻・黄道の巻 (祥伝社文庫)
完本 妖星伝(2)神道の巻・黄道の巻 (祥伝社文庫)

 物語の中に少し踏み込んでみよう。この物語は、地球という惑星になぜ(互いに殺し合わなくては生きられない)残酷な生命が発生したのかという問いかけを根幹にもっているため、必然的に壮大なスケールとなっている。ただしその端緒は、江戸時代に設定された人間世界の理不尽からこじ開けられる。描写は普通の時代劇のようであり、司馬遼太郎の小説でも読んでいるような錯覚がある。

 下野壬生三万石。正徳年間に移封があって、以来領主は鳥居家。日光西街道の城下町で近在の産物が集まり、下野では聞こえた市場町でもある。

 日光西街道の宿場町であった壬生の名前を今に残す壬生町は、栃木県中南部にある。設定された時代は徳川吉宗の終わりに近いというから、西暦では1740年くらいだろう。

 物語は、この領主・鳥居家の家系に近い要人、26歳の土屋新三郎とその若妻・園江の幸福な家族を鬼道衆が不幸に陥れることから始まる。貞淑だった園江は、鬼道衆によって淫婦に変えられ夫・新三郎は懊悩する。鬼道衆はなぜ幸福な人々を苦しめるのか。鬼道衆を率いる日天(宮毘羅)は語る。

 新三郎は呻いた。
「われら夫婦をいたぶるために、なぜ黒松屋敷にまでしのび入る」
「道に行き倒れた者があった時、新三郎ならなんとする。……抱き起こし、印籠の蓋のひとつもとろうが。えせ僧侶どもは、貧しき者、不しあわせな者を救うというのであろうが、貧しさに薬も買えず病床に伏す者が、もしそうした救い主の訪れを受けたとしたらどう思う。有難なみだに暮れるだろうが。それと同じだ。救い主はそこに貧しく病む者がおるということだけで来る。縁もゆかりもあろうかい。わしはその裏返しだというだけのことよ。縁もゆかりもあるものか。世にもしあわせな美しい夫婦がいるを知って、ただそれだけで一途に救いに参ったのさ」
「救いか、これが」
(中略)
「救いがひと通りと思わぬことだ。あんなしあわせなお前たちの上に、そのうえいっそうのしあわせが積み重なっていくと思うか。いや積み重なるほど罪深いことがあろうか。不幸な者どもが浮かばれまい。その罪を救ってやるのだ。世の常の身に引き戻し、這いあがる喜びよりは、奈落に沈む喜びを教えてやろうというのだ」

 人間を含め、動植物すべての生命は、互いに殺し合い不幸に落ちていくのが真実の姿であるから、神道の裏面にある鬼道は、そうした生命界の真相を知らせるために、幸せな人々を理由なき不幸に陥れるというのである。

 普通の感覚からすれば理屈に凝った冗談と受け取ってもよい。作者半村良も娯楽小説として冗談のように物語を進めていく。この作品にはまじめくさった哲学談義や酸鼻な殺戮・乱交のシーンにとてつもない冗談も仕組まれている。なかでも第六巻『人道の巻』の詰将棋「皇帝詰」に関連するくだりは、一定の読書の素養があれば、腹がよじれて苦痛を感じるほど笑えるだろう。そしてSFファンならエドガー・ライス・バローズの『火星のチェス人間』も連想するかもしれない。娯楽というには、多少度が過ぎてはいるが。

作者・半村良が繰り返す自問

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