マミちゃんは、いかにしてジブリに忍び込んだのか
—— 『夢と狂気の王国』では、企画が決まって撮影に入る段階で、どんな素材をどんなふうに撮ろうっていうのは、決めていたんですか?
砂田麻美(以下、砂田) 決めていないです。
—— じゃあ、まずは行って、素材を集めながら考えたんですね。撮影には1年間、ほぼ毎日通われたとか。
砂田 途中からはそうですね。まったく撮らない日もありましたけど。
—— 何をしてたんですか?
砂田 とくに撮るものがない日は会社のなかをぶらぶらしたり、みんなと話をしたり、ごはんを食べたりしていましたね。プロデューサーの川上量生さんの机がずっと空いていたので、私はその机を使わせてもらっていて。朝、おはようございますって荷物を置いて、そこで書き物をしたりもして。
—— それは素敵な環境ですね。
砂田 スタジオジブリって本当に不思議な会社だなって思ったのは、私はジブリのなかではとくに仕事もないのでぶらぶらしているんですけど、誰もそれに異を唱えないっていう。
いわゆる普通のドキュメンタリー監督っていうのは、ものすごく被写体と距離を取って、隙あらば何かを暴いてやろうっていうスタンスでいると思うんですけど、私の目に映るジブリっていうのは、何かを暴く必要がまったくなかった。ああ、こういう会社だからジブリ作品って生まれてきたんだなっていうのを日々感じていたので、その体験によって、自分がつくる映画も、どんどん変わっていったと思います。
もしも、何曜日の何時から何時までこの会議を撮影させてくださいっていうスタンスで通っていたら、おそらく全然違う映画になっていたんだろうなって。
—— 映画のなかの風景や人にも、今っぽさやどこか特定の街の感じがなくって、ファンタジーっぽいというか……ジブリのイメージそのものなんですよね。意識的にそういう撮り方をしていたんですか?
砂田 ジブリを一度でも訪れたことのある人が、「この不思議な空気感はなんだろう?」って口をそろえて言うんです。建物自体は突飛な形をしているわけでもなく、質素っていうと語弊があるけれど、非常にシンプルで華美ではない。なのに、言葉では説明しにくい、不思議なものに包まれていて。
それを映像に変えて見せるのが自分の仕事だと思ったんで、どういう撮り方をして、どういうふうに見せれば、その独特の謎めいた感じを、ジブリに行ったことがない人にも伝えられるかっていうのは考えました。その場所をそのまま撮って、行って帰ってくるだけだったら、それはもう私の仕事じゃないと思うので。
©2013 dwango
—— 1年間ジブリに通ったあとも、その不思議な感覚っていうのは変わりませんでしたか。
砂田 変わりませんでしたね。つい最近、映画に出てくる制作進行の三吉さんからメールをいただいたんです。「はじめてジブリに来たときに感じた不思議な感覚を、自分がそのなかに入ったことによって忘れてしまっていた。それを、映画を観て思い出した」って書いてくれて。「まさにあの、窓から見える景色とか、木のざわめきとか、空とか、そういうものが自分がジブリに来たときに感じたものだった」っていうのを読んで、すごくうれしかった。ああ、そういうふうに描けている部分があったのかなって。なので……やっぱり、そういう不思議な場所なんだと思います。あそこは。
—— 宮崎監督と砂田さんの距離が、冒頭からすごく近いなって感じました。あの関係を築くまでには、どれくらい時間がかかったんでしょう。
砂田 映画のなかで、夜、宮崎さんが自分のアトリエに帰っていって、羊を部屋のなかに入れるシーンがありますよね。あの日は、じつは撮影を始めて2日目くらいなんですよ。
—— ええっ、そうなんですか。
砂田 そう。まだがちがちに緊張していて、すごく離れたところから宮崎さんを撮っていたんです。そうしたら、アニメーターの方から「もっと近づかないと、NHKに負けるよ」って言われて(笑)、背中を押されたんですよね。その勢いで近づいていって、「帰りにアトリエ行ってもいいですか?」って付いていっちゃったっていう。
※映画の撮影は、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』と同時期にスタートした
—— 最初の成り行きで。
砂田 ジブリって、映画にも出てきたガラス張りの階段を隔てて、上がプロデューサー室で、下が宮崎さんとアニメーターの方の部屋。仕事の内容も違うので、ある意味、上の世界と下の世界が分断されているんです。
基本的に私はプロデューサー室にいたので、宮崎さんの姿は見えないんですよ。宮崎監督はずーっと机に向かっていて、遠くから見る分には何の変化もない。近づいてのぞき込んだり、話しかけたりしないと『風立ちぬ』っていう映画がどういうふうになっているのかが、まったくわからない。
—— その距離から、宮崎監督とコミュニケーションを取っていったんですね。
砂田 いつも30分に1回くらい、階段を降りていって宮崎監督が何をしているのかを、遠くから見て。今なら行けるんじゃないかっていう瞬間に、カメラを持って近づいていく。その気配を感じて、すぐ話しかけてくれるときもあるし、私の方をちらっと見て、すぐに作業に戻るときもありました。でも、話しかけてくれないときに、ああ今は機嫌が悪いから離れた方がいいのかなと思うと、突然ものすごい勢いで話し始めるときもあったりして。
そういうのは、本当に毎日見ながら、感覚で覚えていくしかなかったですね。どの瞬間に近づくかっていうのは、撮影を終えるまでずっと気にしていました。当然のことですけど。
スタジオジブリの「狂気」と「夢」と
—— 今回の映画は、スタジオジブリの映画であって、宮崎駿監督のドキュメンタリーではなかったですよね。宮崎駿さん、鈴木敏夫さん、高畑勲さんをはじめ、ジブリのなかの関係性みたいなものが描かれていたと思うんですが、この3人がキーパーソンになるだろうっていうのは最初から見えていましたか?
砂田 その3人は、そうですね。でも、宮崎駿監督が映画の主役として、すごく力を持っている人だということが撮りながらわかってきて。それは、監督の人気があるとか、有名であるということとは別として。
たとえば鈴木敏夫さんという人も、すごく強くておもしろい、魅力のある方なんですけど、映画のなかでもやっぱり黒子のように、そっと支えるっていう立ち位置で登場した方が輝くんですよ。鈴木さんだけでも映画はできるぐらい強い個性があるけれど、スタジオジブリを描こうとしたときに、あらゆる可能性を試した結果、やっぱりこのバランスだったんです。
高畑勲監督も、もっとインタビューはあったんですけど、なかなか向こう側のスタジオ※に行けないっていう距離感も含めて、スタジオジブリだったんですよね。
※当時、高畑監督は宮崎監督とは別のスタジオで映画『かぐや姫の物語』を制作していた
—— そういった関係性も含め、どの時点で今回の映画の像が見えてきたんでしょう?
砂田 この映画をつくる意味があるっていうふうに確信したのは、お正月でした。まだみんなが休んでいて、誰もいないスタジオへ宮崎監督がひとりでやってきて、暗いスタジオのなかで宮崎さんの机だけに電気が点いていて。そのなかで黙々と描き続けるっていう、映画の中盤に使っているカットを撮ったときですね。
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