一故人

ボーダーを超えた2013年の物故者たち

2013年、各界の多くの著名人が鬼籍に入りました。大島渚、大鵬幸喜、江副浩正、山口昌男、三國連太郎、マーガレット・サッチャー、中坊公平、富田倫生、藤圭子、やなせたかし、コリン・ウィルソンなど……。今回の「一故人」は、その人々の足跡について想いを馳せ、そして追悼の念を新たにします。

2013年9月、1964年以来、実現すれば56年ぶりとなるオリンピックの東京開催が決まった。先の東京オリンピックでもっとも日本国民の耳目を集めた競技は、何といっても、女子バレーボールである。河西昌枝(結婚後の姓は中村。10/3。以下、日付は命日を示す)が主将を務める日本チームは「東洋の魔女」と呼ばれ、最大のライバルであったソ連を下して金メダルを獲得した。決勝戦のテレビ中継で実況を担当したNHKアナウンサー・鈴木文彌(1/20)は、試合終盤、「いよいよ金メダルポイントです」と、その興奮を伝えた。

東京オリンピック開催前より、テレビ中継を通じて相撲やプロ野球が国民的スポーツとして定着していた。「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行したのもこの頃だ。1961年、角界では大鵬幸喜(1/19)がライバル・柏戸剛とともに横綱に昇進、またプロ野球では巨人が川上哲治(10/28)の監督就任1年目にして日本シリーズ制覇を果たす。川上巨人は東京五輪開催の1964年は3位に終わったが、翌65年からは9年連続日本シリーズ制覇(V9)を成し遂げた。大鵬も一時けがに悩まされたものの、それを克服し、1971年に引退するまでに史上最多の優勝32回を記録している。

川上は現役時代の1953年の日本シリーズでMVPに選ばれた際、トヨタ自動車工業(当時)の役員に「来年からは賞品に自動車を提供してくれないか」と持ちかけている。これにより翌54年から、MVPにはトヨタが乗用車を提供するようになった。

多くの人がマイカーを持つ時代はもう少し先であったが、当時すでにタクシーなどの営業車、法人の自家用車などの需要は拡大し、供給不足が指摘されつつあった。トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎の従兄弟で、当時取締役だった豊田英二(9/17)は、市場の変化を見据えて、月産5千台規模の乗用車専用工場の建設を提案している。工場は1959年に操業を開始し、たちまち月販1万台を達成したトヨタは、他社に大きくリードをとった。

豊田は副社長時代(1960~67年)には、貿易と資本の自由化を前に、国際競争力の強化のため、日野自動車やダイハツと提携をはかっている。合併や外国メーカーとの提携も含め、1960年代における自動車業界の再編は、小説家の山崎豊子(9/29)の代表作のひとつ『不毛地帯』(1976~78年)でも題材としてとりあげられた。

自動車業界再編のなかで、二輪車に加え四輪車市場に進出した本田技研工業は、1972年、アメリカのマスキー法(大気汚染防止法)にもとづく自動車排出ガス規制に世界で初めて対応した「CVCCエンジン」を開発する。これを主導したのは当時本田技術研究所社長で、翌73年にホンダの2代目社長に就任した河島喜好(10/31)であった。

1970年代から80年代にかけて、石油危機もあり、低燃費の日本車は生産台数・輸出台数ともに伸ばしたが、欧米諸国からは反発も起こった。それをかわすため各メーカーは海外での現地生産に乗り出す。早くから二輪車の現地生産に積極的だったホンダは、河島社長時代の1982年には、日本の自動車メーカーでは初めてアメリカで四輪車の生産を開始した。

日産自動車もまた1980年代にはイギリスやアメリカなどに工場をつくり、積極的な海外進出を始めている。こうした当時の石原俊社長の方針に対し、自動車労連(日本自動車産業労働組合連合会。日産自動車および関連会社の労組の連合体)の会長であった塩路一郎(2/1)は真っ向から反対し、世間の注目を集めた。

企業の積極果敢な設備投資や海外投資は、業績を伸ばす一方で、多額の負債として跳ね返ってくることもある。樋口廣太郎社長時代のアサヒビールがまさにそのケースであった。スーパードライの大ヒットで売上を拡大した同社だが、1992年に樋口の後任社長に瀬戸雄三(5/13)が就任した時点で、売上を大きく上回る借金があった。瀬戸はその事実を社員に隠し通し、事業を整理して本業に集中することで危機を乗り越える。

リクルートが一時期、再建のためダイエーの傘下に入ったのも、不動産と金融部門で巨額の負債を抱えたためであった。その原因には、情報産業のままでは財界で地位を築けないとの焦りから、創業者・江副浩正(2/8)が不動産事業に走ったことも大きかったようだ。1988年に発覚したリクルート事件も、江副が自社の地位向上のため政官財の要人たちに接近をはかるなかで起こった。江副の志向したものは、任天堂を世界的なゲーム機・ソフトメーカーへとのしあげた山内溥(9/19)が、経済団体などにはほとんど加入せず、また、「自分の会社は娯楽産業を売っている」との意識を終始失わなかったのとは対照的だ。

リクルート事件では、吉永祐介(6/23)が東京地検検事正として捜査を指揮した。吉永は「ミスター検察」「特捜検察の顔」などと称されたが、弁護士の中坊公平(5/3)は「平成の鬼平」と呼ばれた。これは1996年、住宅金融債権管理機構(のちの整理回収機構)の社長となった中坊に対し、バブル崩壊で破綻した住宅金融専門会社(住専)の債権回収の断行をマスコミが期待して呼んだものだ。だが、2000年、整理回収機構が社長の直轄案件として進めていたある業務において、「不適切な回収」が行なわれていたことが発覚する。中坊はのちに、その責任をとって弁護士を廃業するにいたった。

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

donkou (承前)まずは2012年 http://t.co/9e8ofxVfTG と2011年分 http://t.co/EMG5tG4kbx を公開しました。ケイクスの記事 https://t.co/QTQSijmbgk を読まれた方は、こちらも閲覧いただけるとうれしいです。 4年以上前 replyretweetfavorite

kiq 無料会員登録の価値あり 4年以上前 replyretweetfavorite

sadaaki 物故者の方についてまとめる連載「一故人」の年末版は総集編です。近藤さんの原稿、いつもすごいんだけど、ひときわすごいです。 4年以上前 replyretweetfavorite

yomoyomo 近藤正高さんのこの文章を読まないとその年は終わらないという流麗な物故者原稿。週刊ビジスタが星になってしまった後もこの原稿が読めて幸せだ!https://t.co/KTJ6Liwuhe 4年以上前 replyretweetfavorite