私市陶子[12:23−12:45]
先生、私たち喫茶店を追い出されてしまいました。
たしかに『携帯電話の御使用は御遠慮ください』という張り紙はありました。私とノブさんはひっきりなしに電話を使っていました。けれど、さほど他にお客さまがおられるわけでもありませんのに、いきなり「出ていってください」というのは、いかがなものでしょうか。
だって私たちは、人助けをしているのですから。
「まあしょうがないでしょ、悪いのはこっちなわけで」とノブさん。
「それはそうなのですけど……」
堀田さん風に表現しますと、私、少々ブーたれてしまいました。
ですが、いたしかたありません。ともかく二人でノブさんのお宅へむかうことにしました。徒歩で十分ほどのところだそうです。私は迷惑にならないように、できるだけ大股で歩きます。そろそろコツがつかめてきたようです。これなら長い距離も歩けそうです──もちろん、ゆっくりとではありますが。
あたりがお屋敷町になり、私たちは長い長い生け垣に沿って進みました。それがノブさんのお家なのだそうです。それにしても、おかしな話です。どうしてノブさんのお家であり離れであるのに、マーチさんに私の入出を拒む権利があるのでしょう。
ノブさんを問いつめようかとも思いましたが、やめにしました。なぜってノブさんは、マーチさんを信頼しているのですから。十年来の親友、とも言っていました。信頼、親友、これは重みのある言葉です。学校をやめることになった頃、私自身、どれだけこの二つの言葉に支えられたことでしょう。ですから、これは私がとやかく口をはさめる事柄ではありません。それに、もしかしたら私が間違っているかもしれないのです。先ほども申しましたとおり、人を評価するのは大変なことなのですから。まだ会ったこともない方を云々するのは、慎まなければなりません。
そしてようやく生け垣が途切れ、お屋敷の正門に到着する寸前でした。トオルさんからノブさんの携帯に連絡が来たのです。
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