徳永準 [11:16−11:25]
手前から順に、一番線、二番線、以下コンコースの果ての小田急線まで。上り階段がぼくを呼ぶ。大都会をめぐる長い長い線路の束が、優しく静かに手まねきする。
広いホームに、ウグイス色の車両がすべりこむ。終着点無しの環状線。次は新大久保、その次は高田馬場。大久保通りになだらかな起伏があるのがわかる。空は曇り、灰色の街並。それでもとにかく、こっちは東側だ。だから遠くにある出っ張りは、たぶん有楽町あたり。東京タワーは、ぼやけて見えない。
窓の下を大久保通りが流れ去る。
緑の固まりは、きっと皇居だ。それとも御苑って、こっちがわだっけ? ひときわ立派な建物が左手前にそびえてる。あれはたしか──うん、国立国際医療センターだ。
温井川聖美(ヌクイガワ サトミ) [11:25]
家族全員を乗せたタクシーは、ようやく国立国際医療センターとやらについた。
あたしのケータイは途中で母さんにとられて、そのまんまになっている。あんまりたくさんメールが来るんで、怒りだしたのだ。おばあちゃんが
後ろの席であたしと母さんのあいだに挟まれてた
そのことはタクシー内の全員が知っている(運転手のおじさんも青梅街道が
これでヒロミが実は上辺だけのいけすかない女で、あたしのことを嫌っていたのだったら、こっちも彼女のことを憎めて、少なくともあたしの心理的バランスだけはとれる。でもそうはいかないのが、この現実という舞台の卑怯なできばえだ。
大きな透明の自動ドアが開いて、病院のいかにも病院ですよという
「おねーちゃんごめん」
エレベーターに乗り込む寸前、母さんには聞こえないようにヒロミがそっとささやく。とてもつらそうな声。彼女は身長が百四十九センチ、体重は三十九キロで、淡い栗色の髪はナチュラルにウェーブもかかってて、つまりはちっちゃくって可愛らしさ満載、高価なアンティーク・ドールみたいな中学二年生だ。あたしの耳は、その素敵なお嬢さんの右巻きつむじから約三〇センチ上空にあって、彼女の非のうちどころのない天使の美声が下から響くのを毎日いやでも聴かされる。
「なんで謝るの」
「だって」
「いいから」
「……うん」
あたしはその会話のあいだだけ見事に『おねーちゃん』役をこなす。でも、たぶんそれも、ヒロミがあたしのことを思いやって、わりふってくれている役回りだ。ヒロミは定期的にあたしに甘えようとする。並んで歩くと腕を組もうとしたり、連立方程式のことで相談しにきたり、「とってもすてきな気分になれるCD」を貸してくれたりする。たまに家族でファミレスに行く時も、必ずあたしの隣に座ろうとする。──そうしないと、あたしのプライドが傷つくだろうと察しているので。
彼女の洞察は正しい。けれどもその正しさが人を傷つけるというのも、また真実だ。
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