在所惟信 [10:05−10:16]
で、メールの返信が来ないんで、まあしょうがないや電話だってんで、まあどうせ料金は親が払うんだし、友人の生死の問題なわけですし。こんなところでお金をケチったなんて後でバレたら、どんな噂されるやら! そしたらマーチはすぐ出て、
『……おうどうした。何かわかったのか?』
臨戦態勢っていうのかなあ、あの声。そんな感じだったんですよ。で、
「あのさ。パソコンだめだ。日記もないし」
『なに? 聞こえねえって。なんでそんな小声なんだよ』
「あんま大きな声、出せないんだよ。すぐ下に徳永のお母さんとか、お姉さんたちいるし」
『あっそ。で?』
っていうんで俺、部屋の中を見回したんですけど……フローリングで六帖くらい、ベッド、本棚、収納棚。天井は高くって。机はきれいに整頓。パソコンが一台。壁には『常在戦場』の四文字が和紙に筆で書かれてて。日付は去年の春、高校入学の時。その横のポスターは、アイドルでもサッカーでもなくて、エアブラシで描かれたイルカと惑星が南の海だか宇宙だかで泳いでるようなやつ。なんだかなあ。せめて印象派とかにしてくれよ、とか、ちょっと気が滅入りましたわ、実際。美術部の鑑賞班としましては。
アイドルってのはですね、すっごく重要なんですよ。いや、こんな話はエリさんには言わずもがなかもですけど……あ、すいません、ほんと。
えーとですね、俺大好きなのはロートレックなんですよ。そうです。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。いや、関係なくないです──つまりですね、あの人って史上初のアイドル追っかけなんですよ。ぼろっぼろの人生で、アル中で、でもあんなすげえ絵まで描いちゃったりして。すげえんですよ、憧れちゃいますよ実際。
いやそうじゃなくってですね。奇麗なねーちゃんを「わーきれいだなー」って褒めるんなら、バカでもできるんですよ。ロートレックのすげえとこは、きれいなものを自力で見つけだせちゃった、ってとこなわけで。
つまりですね……アイドルってのは、見るだけで落着するから良いんだってことですよ! そう、そういうこと! そのへんの可愛い子だったら触れたりエッチできたり、つまり「ほんとに居る」んですよ。でもアイドルはそうじゃない。
って現実に存在してることはしてますよ、でもその、だから、えーと、わかんないですか俺の言いたいこと。アイドルの女の子は、ただそこに居て息してニコニコしてるだけじゃない。彼女たちは、見られてんです。見られるために、見られることで存在してんです。見られてないと意味がなくて、見られた時に初めて意味がそこに生まれて、だから彼女たちの良さを見抜く目利きが……つまりロートレックとかが……必要なわけです。
うん、そりゃまあたしかに。でっかいパーティーとか行けば直接会えますよ、アイドルには。あとテレビ局遊びに行ったりとか。でもうちの親父、なんでか知らないけど、そういうのはおまえはダメだって昔っから禁止してたんですよ。
政治家のじいさんばっかりのパーティーとか、銀座のクラブとかは、ぜんぜんOKなんですけど。
「ほんとうに奇麗な女の子はね、遠くから眺めているのがいちばんなんだよ」って。まあ、そういうもんかなあと。うん、たしかに影響されてるかもしれないですね、おじさんの考えに。
えーとなんの話でしたっけ。あそっか。それでですね、俺ケータイでマーチに報告しまして、
「パソコン、パスワードわかんなくて中は見れなかった。日記みたいのも見当たんないし。引き出しはぜんぶ開けてみたんだけど、机の。ノートと教科書が上に置いてあるくらいで」