枯野透 [09:50]
「切らないで! もしもし!」
ようやくつながった回線の彼方へ、僕は大声で懇願する。
僕は単に、ハッピーエンドを傍観したい脇役志望なんです。
『──もしもし?』
「もしもし!」男子の声じゃなかったぞ。ということは。「えーと、そちらに徳永くんて人、います?」
『……あの……』
「だいじょうぶ、心配しないで!」
なぜだか自分でもわからないまま、とっさに僕はそんなことを叫んでた。きっと何か予感があったにちがいない。
心配しないで。
「だいじょうぶですから! 問題ないですよ! もしもし、僕、枯野といいます。枯野透。都立星が岡高サッカー部の左右田くんの、知り合いです。彼からメールもらいまして、それで至急徳永くんに連絡をとりたい用件がありまして、先ほどから何度か電話かけてたんです。そちらは?」
『…………あ、えと』
「もしもし? どうぞ?」
『わ、わ、ワタベアキホ、です』
うわずった声は、まるで別人みたいだった。もしかして──最初は同学年って印象だったけど──この子、中学生か?
『アジアのアーに、キボーのキーに、イナホの』
「わかった」いや、小学校高学年でも可能性ありだな。暁の友だちにも、こんな感じの子がいるし。うーん、どうするか。よし。「……ちょっと深呼吸してくれる?」
即座に素直な返事と、それから遠い風の音。
(さてと……)
ぼくも大きく息を吸う。体の芯に、まだ眠気が残ってる。
冷静さが戻ってくる。
事情はともかく、徳永の携帯電話は今この小学生(推定年齢十一歳てところ)が手に入れてる。落としたのか、もしくはわざと置いていったのか。どっちにしても、今のところ手がかりはこれしかない。まずは現在位置だ。──運が良ければ、まだ徳永はこの子の近くにいる!
「アキホちゃん。そこ、なんていうところ? 近くの駅の名前、わかるかな?」
渡部亜希穂 [09:50]
『だいじょうぶ。心配しないで』
あたしの心をぴったり読んでるみたいに、その人の優しい声は響く。
『だいじょうぶですから──問題ないですよ──』
ほわーんとして、あたしは声の泡のなかでただよってる感じ。
うわあ。気持ちいい。
『もしもし。僕、カラノといいます。カラノ・トオル』
あたし、なぜだか急に体がふるえる。なにこれ。寒いのと、熱いのと。さっきまであんなに楽だったのに。どうしちゃったの、あたしのカラダ?
耳がじーんとして、ようやく質問の意味が頭の中でほぐれてきた。
『──んです。そちらは?』
「渡部亜希穂です。アジアの亜に、希望の希に、稲穂の穂」
『わかった。ちょっと深呼吸してくれる?』
「はい!」
なんでそこで深呼吸やねんというツッコミはジシュクして、あたしはすっごく素直に指示にしたがう。とっても心地よい冷たさが、こんどはつま先のいちばん先っぽからあたしの中に入ってくる。
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