伊隅賢治 [09:44]
男は信じられないくらい素早かった。武道の心得があるのか、それともやっぱり総合格闘技でもやっているのか。
「知ってんのか」
奪われたケータイを鼻先に突きつけられる。
喉が勝手に閉じる。思うように動かない。知ってるって、何を? 誰を? メールのことか。徳永を知ってるのかって?
男が何か唸る。
「し──知ってる。知り合いだから──学校の……」
「居場所だ、アホ!」
「居場所……?」
徳永が、今どこにいるのか。
なんでこいつが、そんなことを知りたがってるんだ。というより、ついさっきまであいつはこのコンビニの中にいたんだ。それをこいつのせいで! ボクはすっかり混乱する。怒るべきなのか、それとも命乞いするべきなのか。いずれにしても当初の計画は、今やまったく役立たずの紙クズとして廃棄される運命だ。それだけは理解できた。
「案内しろ」
もっていたナイフ(表面が黒いのは錆ではなくて血だ、間違いない──血の真の色は黒なんだ、赤ではなくて)を右の脇にはさんで、男の左手はボクの腕をつかむ。ものすごい握力、そしてひどく手慣れた動きだ。そうだ。この男はこうした動作に慣れているんだ。これまでに何人くらい殺してきたんだろう? 十人? 二十人?
「名前、何だ。あぁ?」
「い……伊隅」ケンジ、と最後まで言い終わる時間がなかった。
ガラス張りの雑誌コーナーの外で制服の人影。男がふりむく。警官だ! 誰かが……そうか、レジ係が通報したんだ!
「伊隅!」
「え?」
「走るぞ!」
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。