伊隅賢治(イスミ ケンジ) [04:58−08:49]
……ボクが自宅を出たのは明け方、五時前。
家族はもちろん気づかない。ボクに関する重要な事柄は、なにひとつ彼らは気づいてない(正確には、意図的に気づかせていない)のだから当然といえば当然のこと。
「なにひとつ」というのは比喩じゃなくて、本当に一つもだ。
たとえばボクの読書遍歴について。(ちなみにこの「遍歴」というのは、ボクのお気に入りの単語の一つだ──たっぷりとした時間と空間がぎゅっと圧縮されてる感じがする。)人が死ぬ小説を、ボクは子供の頃からたくさん読んでる。それも、ただ死ぬんじゃない。たくさん死ぬだけのも論外。特定の重要なキャラが手間ひまをかけて殺されるのがボクの好みだ。死んでゆく者の最期の描写が詳しかったり、長い
それからボクの映画の趣味もだ。たいてい劇場で観るだけでレンタルはしない。記録が残るからだ。パンフレットも買わない。あとはTVでやるのをじっと待ってて、録画して、十回くらい観て全シーンを憶えたら消す。たとえば『ゴールデンボーイ』。『ドーン・オブ・ザ・デッド』。『バイオハザード』。『ディア・ハンター』も念のため消した。『バトル・ロワイアル』を観たのは中一の秋だった(これは春に卒業した部活の先輩が借りたんで、先輩が恋人と住んでるっていう噂のマンションまで遊びに行って、みんなで観た)。本物よりも噂のほうがすごかったせいだろうか、あんまり驚かなかった。というより、ふつうに良い青春映画だった。むかし国会で問題になってたんだぜ、って先輩は楽しそうに吹聴してたけど、たぶん議員さんたちは本物を観もせずに噂のほうにむかついたんだろう。『レザボア・ドッグス』や『ナチュラル・ボーン・キラーズ』も、同じ頃に観た。なかなか悪くない出来だ。でも一番気に入っているのは(すくなくともボクの中のランキングで上位に居座り続けるのは)大人たちが神経を尖らせてるホラーでもバイオレンスでもなく、世間的にはごくふつうの「良い映画」……『ファーゴ』という作品だ。こいつはすごかった。さっき「重要なキャラ」っていったけど、それはべつに社会的な重要人物という意味じゃない。あくまでも事態の焦点になっている人間、読者と作者が(もしくは観客と監督が)注目している「対象」ということだ。だから、田舎町にやって来たどうしようもない小悪人たちが無駄な犯罪をくりかえしたあげく無意味に仲間割れして死んでゆく……というだけでも、じゅうぶんに観る価値のある「対象」になる。
ボクが映画のドラマ部分に感動してるとは思わないでほしい。ボクが見たいのは、あくまでも「眼前で死んでゆく人間」なんだから。 本物を見たことは(残念ながら)まだない。写真や動画ならあるけど(ネットにはいくらでもころがってるし、記録が残らないようにダウンロードする方法もいろいろある)、そういう類いはノーカウント。ここで言いたいのは『死体の映像』ではなく『死』そのものだ。五感すべてをフル稼働させて、あらゆるデータをボク自身の中へ入力する、その一連の過程のことなんだ。映像は断片でしかない。全情報のほんの一部でしかない。
ボク自身が誰かを殺す予定はない。当然ながら、野良猫や小学校の兎を殺したこともないし、殺したいとも思わない。ここのところは絶対に勘違いしてほしくないところだ。殺害行為ではなく、ボクは『死』に興味があるんだ。
『死』そのものに。