知ってる?
この世界には
三つだけ
ほんとうのことがあるんだよ。
徳永準(トクナガ ジュン) [12.31 07:49−07:59]
朝だ。
目が覚める。七時五十分ちょっと前。最高にすっきり気分。
なぜって、今日ぼくは死ぬことになるんだから。
ひとりで死ぬわけじゃない。といって心中でもないけど。理由はいろいろあって──でも本当のところは一つだけ。
ぼくは、今日、自殺する。
ネットで知り合った、名前も顔も知らない誰かといっしょに。
その誰かのために。
ベッドから起きる。
目覚まし時計は、鳴り出す前に止めた。勉強机の隅のデジタル表示、余裕たっぷり。ぼくは不思議な気分になる。人生最後の日なのに、時間だけは余ってるなんて。
他の人なら、こういうのを運命的暗示っていうんだろう。ぼくはそういうのは信じない──どっちかっていうと。
カーテンをあける。窓のロックを解く。ぴりっと凍った風。
準備しておいた服に着替える。チェックのシャツとジーパン、白のダウンジャケット。体がとっても軽い。お腹も痛くない。すごい。すごいぞ。こいつは素敵だ。自殺するって決めただけで、こんなにも爽快な気分になれるなんて。もっと早くにこうしとけばよかった。
でも、そんなわけにもいかなかったのは当然のことで──つまりぼくがネット心中するって決めたのは三日前の夜、あの書き込みを見たからなのだし。
じゃなかったら、今ごろまだ胃痛を抱えながらウジウジ悩んでただろう。そしてそのまま、陰鬱な新年を迎えてただろう。
けれど。そうはならなかった。
今日、ぼくは自由だ。
自由になったんだ。
ぼく自身から。
大きく伸びをしてから、階下のキッチンへむかう。
思ったとおり、母さんたちはまだ起きてない。廊下も、中庭も、食堂も、応接間の偽物マントルピースも、行儀のいい静寂でぼくを迎える。
牛乳をレンジで温めて、コップ一杯ぶん飲んでから、ぼくは出発する。表門を出る時、やっぱり無意識のうちに看板を見上げてしまった。
徳永医院 内科・小児科・皮膚科・産婦人科(母体保護法指定医)
でも今日はだいじょうぶ、ちっとも胃は痛くならない。すごい。ほんとに最高だ。ぼくは思わず口笛を吹く。お気に入りのL'Arc~en~Ciel。朝の冷たさが、頬を親しげに叩く。
すばらしい冬空、すばらしい気分。
ぼくは死ぬ。ぼくは死ぬ。
今日を限りに、ぼくは解放される。
おまけにそれが人助けにもなるんだから。
笹浦耕(ササウラ コウ) [07:59]
その時間、オレはまだ爆睡中だったね。
そりゃそーでしょ。大晦日だよ? なんで朝の八時前に起きてなきゃなんねーのさ。そもそも例の自殺メールもまだ届いてなかったし。
あ。正確にいうと『自殺予告メール』か。
それとも『ネット心中予定の通達メール』ってのかな。わかんねーや。まあ、それはそれとして。
とにかくオレはちょうどそん時、夢を見てたわけですよ。小学校ん頃のオレ。と母親と妹と親父の登場する夢。しょーもな。
もう六年も前だよ、全員そろってたのはさ。
家族ってのはおかしなもんだ。とオレなんか思うけど……あ、べつに意見を押しつけようとか、そういうんじゃないよ。みんなそれぞれ考え方違っててもいいし。オレの考え、まちがってんのかもしんねーし。
それはともかくオレがそん時想い出してたのは、つーか夢に見てたのは、自分の誕生日のでっかいケーキをみんなで切って食べてるシーンで、なんかほんと映画の一場面みたいで、ちょっとソフトフォーカスんなってて、それをぼーっと眺めながらオレはそんなふうに思ったわけですよ。家族っておかしなもんだよなあ、って。
なんでかって?
うん。
なんでだろな。
オレもよくわかんねー。つーか、そん時はよくわかんなかった。でも後からいろいろ考えたら、つってもそんなに後じゃなくってその日の夜から翌朝、つまり元旦にかけてなんだけど。
とにかく、次の日の朝までに何だかんだであれこれ考える機会があったわけ。で、考えてみた。
結論。
家族ってさ。
血のつながってる他人なんだよね。
もちろん世の中には血のつながってない家族もあるよ、あるけどさ。ま、ちょっとそれはおいといて。うちはそうじゃなかったし。
それから「他人」ってのは、べつに、縁もゆかりもない冷たい関係、とかそういうんじゃなくて。
なんつーの?
他の人?
自分じゃない人間?
うん。そんな感じか。
自分じゃない、自分とは別個の、独立した人間。
でも血はつながってる。
つながってるって何が? いっしょに晩メシ食べた思い出? 顔とか仕草が似てること? 役所の戸籍で? 血液型で? DNAで? 以上の条件すべて?
知らねーよ。ほんとのところ。
クラスメートだっていっしょに晩メシくらい食うだろうしさ。血液型が同じやつなんて、いっくらでもいるし。顔も整形できるし。DNAなんか人類似たりよったりだぜ。十万年前のアフリカのどっかで、ミトなんとかイヴから始まってんでしょ、みんな。
で、家族。
でも、家族だ。
「何か」がつながってんだよね。まあ、クラスメートとかアフリカの人とかよりは。
そういうつながりの関係があって、いっしょに暮らしてて、でも場合によっては別々に暮らすことになったりとか。オレんちみたいにね。だからっつって、離れて住んだだけで縁が完全に切れちゃうかってーと、そういうもんでもないし。
だからさ。不思議なもんだなあ、って。
うん。そうだ。「おかしな」じゃなくて、「不思議」なんだ。
家族ってのは。
──とまあオレはそん時、あんまり自覚してなかったけども、おおざっぱに要約するとそんなよーなことを感じてたらしい。六年前の誕生日の夢を見ながら。
で、そう思った時にオレ、寝返りうったぽくって、あとで見たら床に文庫本が落ちてた。開いたまんま落ちたんでページ曲がっちゃってて、やべえ、しのぶさんになんつって言い訳しようかって思った。のは憶えてるぞ、ぼんやりと。でもそれはもうちょっと後の話ね。
で、ともかく。
寝返りうった時は、ほんの一瞬、オレ、目が覚めてた。
ような気がする。
よくわかんねーけど。
でも夢ん中で『あ、ケータイ鳴ってやがる』って思うこともねーだろ。だからたぶん起きてたはずだ。ちょびっとだけ。
ほんというと、ケータイはまだ鳴ってなかった。着信記録もなかったし、あとで見てみたら。
でも。
もしかしたら、ほんとは鳴ってたのかもしんない。
虫の知らせってあるでしょ。あれですよ、あれ。人間の感度ってそんなに良くないけど、でもそういうことあるじゃん。
だから機械だって、なんかの予感を受信するぐらい、あるかもしんない。だろ?
でもオレ、またすぐ寝たんだ。
だって着信のとこ光ってなかったし。それに体力も温存しないとさ。だってその日は大晦日で、イブの夜は事情があって、しのぶさん会えなかったんだけど、その振り替えデートってことで。つまり今度こそオレ、しのぶさんと初エッチできんだから。
いや、できるはずだったんだけどね。