前回、原稿を書いていたカンボジアにまた戻ってきております。日本には数日しかいなかったもので、本屋の店頭で手当たりしだいに買いこんで端から消費しつつありますが、どうしてもヒット率は低くなってしまうのは仕方ないとはいえ残念。もっとゆっくり立ち読みしたりして選ぶ時間があれば……。
その中で今回はまず小説をいくつか。まずローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社)、副題は「プラハ、1942年」だ。店頭のポップとタイトルの奇妙さにつられて買ってみました。バルガス=リョサが帯で絶賛しているし。ナチスにおけるユダヤ人虐殺の冷酷な推進者であり、「金髪の野獣」と恐れられたハイドリヒの暗殺について、チェコ人のガールフレンドに聞き、その暗殺者たちについて調べる著者。その著者の生活に、調べた内容が半ばフィクションとして入り込み、交錯していく。
非常におもしろい本なのはまちがいない。選んだテーマがまずいい。ハイドリヒは独特のキャラクターとして目立つし、またこの事件と関係したチェコ併合の頃からヒトラーの狂いっぷりもすごいし、各国のナチスとの駆け引きも活発化するし、さらには暗殺計画としてのサスペンスもからむから、普通の歴史ノンフィクションとして出しても、かなり読ませるものとなっただろう。でも、それだけで終わらず、自分自身をそこにからめることで、ノンフィクションとフィクションの中間みたいな危うい場所ですべてが語られる。そしてまた、それが歴史的な事件を描くなかで自由度を高め、話のおもしろさをも担保する。よい仕掛けになっていると思う。
ただ、訳者もバルガス=リョサも、この小説を独創的だ、すごい、他に類がないと言うんだけれど——ぼくは読み始めてすぐに、これと似た小説を思い出した。ゼーバルトだ。W・G・ゼーバルトの『アウステルリッツ』(白水社)なんかを読んだ人なら、既視感があるんじゃないだろうか。歴史と、個人の体験と、その語りとが交錯しながら進む物語。本書の感触は、ゼーバルトよりは軽いし浅く、テーマの選び方も含めて商業的な打算が感じられる。よくも悪しくも。でもその分読みやすいしおすすめ。
で、お次はたまたま本屋でこの『HHhH』の隣にあった、ローラン・ミヨ『ネコトピア』(幻冬舎)。「猟奇的な少女と100匹のネコ」という副題がついている。これは……なかなかくだらなくていい。ひたすらネコを(殺人鬼や芸術家の名前をつけて)様々な方法で虐殺し続ける少女が、その残虐性を買われて世界を支配する孤高のミカドの暗殺を持ちかけられるが、ネコにしか興味のない少女はなかなかなびかず……という話。
陰惨そうに聞こえるかもしれないが、ネコ殺しの様々な手法とネーミングのあっけらかんとした羅列に、独裁者たるミカドやその取り巻きたちのトホホな感じでちっとも陰惨にならず(たとえばガルシア=マルケスがこれを書いたらものすごく鬱陶しい長い小説になるはず)、すらすらと話が流れていくのが楽しい。ちなみに作者はフランスで日本人を詐称して本書を発表したそうで、ふーん、そのほうが売れ線ということなのかなあ。フランスではスキャンダルになったというんだが、本当? フランス人もナイーブだねえ。そんなご大層な代物ではないと思うし、是非お気楽にどうぞ。正月にこたつで読むのに最適だと思う。
で、久しぶりに吉祥寺で古本屋に入って見つけた本。ちょっと古いけれどまだ普通に入手可能らしいので紹介しておこう。O・呂陵(オリョリョって読むんだって)『放屁という覚醒』(世織書房)。著者は東アフリカを主なフィールドとしている文化人類学者らしいんだけれど、本書はそこでの各種体験をもちりばめた、おならについての本だ。というよりおならをテーマにした文化人類学の本、というべきなのかなあ。
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