リーマンショックの現実を物語に
—— 真山さんの最新刊、『グリード(上・下)』が早くも雑誌やインターネットで話題になっています。「ハゲタカ」シリーズもこれで第4弾になりますが、まずは今回の着想から聞かせてください。
真山 「ハゲタカ」シリーズは、期せずして近現代の歴史をなぞりながら展開する物語になっていますから、リーマンショックはどうしても避けて通れない題材でした。その一方で、日本人の多くは意外とリーマンショックの本質を理解していませんし、今なおそれを引きずっている現実も知らずにいます。もともとハゲタカ(危機に瀕した企業を買収するビジネス)というのは不況時にこそ暗躍するものです。鷲津政彦ならどのように当時のアメリカを見たか。さらに、リーマンショックに絡む現実と本質を提示しておきたいと考えたのが、今回の物語の始まりでした。
藤沢 「ハゲタカ」シリーズの最新刊をいま読んでみて、じつは僕自身が、いつの間にか合法的に金儲けを追求することに何ら疑問を感じなくなっていることに気づきました。そもそも利益を得ることに対して、良いか悪いかという議論があることがおかしくて、良いに決まっているじゃないか、と。でも、日本人の感性からすると、お金儲けをすることに対して、どこかで罪悪感を覚えてしまったりしますよね? だから、鷲津のように“金を儲けて何が悪い”といった体でいられる人物が、痛快だったりする。実際、そういう部分が多くの日本人の心に刺さったからこそ、このシリーズはヒットしているんじゃないですか。
真山 ありがとうございます。バブル崩壊以降、日本のビジネスもアメリカナイズされたと言われていますが、実際、二言目には善悪が取り沙汰される。今なお、ビジネスで成功した物に対してやっかみ半分で“悪い奴”というレッテルを貼りたがる風潮があります。これを「いつまで経っても島国根性が抜けない旧弊なモラルに縛られている」と切り捨てるのも違う気がしています。
実は、そこに日本人の本質的な根源があって、それはアメリカと明らかに違う。そういう認識は必要だと思います。したがって、「グリード」という言葉も、“強欲”などと訳され、日本ではいわば銭ゲバ的なあまり良くない言葉として捉えられるのは、お国柄ではある。一方、アメリカでは決してマイナスな言葉ではないんです。そうしたニュアンスが、小説という形ならより伝えやすいのではないかと思いました。
—— 藤沢さんが初めて「ハゲタカ」シリーズを手に取ったのは?
藤沢 僕が外資系投資銀行に勤務し始めたのが2003年ごろのITバブルがはじけた後です。それで最初に取った長期休暇のときにハゲタカを読んだんですけど、すごくその世界に引きこまれたのをいまでも鮮明に覚えていますね。まだ、僕も金を儲けることが悪いことなのか、いいことなのか考えていた時期でしたね。
真山 いわば、藤沢さんのキャリアは「ハゲタカ」とともにあったのですね。
藤沢 そうとも言えますね。僕は日本人としてはもともとかなり合理的でサバサバしたところがあって、日本の大学にいたころのジメジメした感じはあまり馴染めずにいました。その後、欧米の大学院に行ったのですが、そこは日本よりはずっと合理的で、実力主義でした。
それでもいま思えば、やっぱり大学に残って研究している人というのは、あっちでもお金儲けを追求することをよしとするような人たちではないわけですね。それが外資系投資銀行に入り、合理的に儲けをひたすら追求するのが当たり前の世界に飛び込んできたときに、『ハゲタカ』に出会ったわけですよ。まだ自分のなかに、そうした世界や雰囲気に戸惑いが残っていた時期だっただけに、なおさら感じ入るものがありましたね。僕が最初に就職した投資銀行で、僕にオファーレターを提示した部長が言ったのは、いきなり、
“Fujisawa-san, let’s make money!”
でしたから(笑)。
真山 今回の『グリード』はいかがでしたか。外資ばかりが出てきて日本人は数名という特殊な設定ですが、藤沢さんにはどう映りましたか。
藤沢 そうですね。むしろ、鷲津の行動に何らかの大儀だとかの理由付けがされる部分について、“まどろっこしい”とすら思ってしまうくらいで(笑)。それで気がついたんですけど、いまの僕は、外資系投資銀行に就職したころに持っていた疑問や迷いは、微塵もないんですよ。あたかも、“喉が乾いたから水を飲む”という行為と同じような感覚で、お金儲けを考えている。
真山 それは興味深い。初めて「ハゲタカ」を読まれたころから変化されているのは、ある意味、日本人らしさがなくなってしまったのかな? 藤沢さんもずっとプロとしてご活躍されているわけですから、それも当然のことかもしれません。
藤沢 金融機関でずっと働いてきた一方で、最近では作家活動の方が増えてますけど、作家というのは、実はすごく合理的でドライな仕事なんですよ。だって、外資系投資銀行でも、組織の中で働いてるわけで、人間関係のドロドロがあって、トレーダーもちゃんと儲けた人がやっかみを買って政治的に潰されたりとかあるんですよ。逆に上に気に入られて結果がダメでも出世する人もいるし。
でも、作家って、基本的に孤独な作業で、ひとりで書いて、もちろん編集者の方とかアシスタントの方にはすごく感謝しているんですが、やっぱりひとりで自分が面白いと思ったことをひたすら書いて、それを世に売って、それがどれだけ評価されるかって完全に市場で決まるわけですよね。ある意味で、作家業は、外資系投資銀行のトレーダーよりよっぽどドライで厳しい世界ですよ(笑)。
小説よりもシビアな外資系金融の現実
真山 今回お会いするにあたって、あらためて藤沢さんの『外資系金融の終わり——年収5000万円トレーダーの悩ましき日々』を拝読しました。すると、冒頭から“強欲”という言葉が出てくるし、『グリード』と非常に近いジャンルを取り上げていて驚きました。
藤沢 真山さんも実感されていることだと思うんですけど、あらためて「金融危機」というものと向き合ってみると、ものすごく複雑なんですよね。僕も何年も外資系投資銀行で働いているわけですが、それでも今回本を書くためにいろいろ勉強してみて、初めて「あ、そういうことだったのか!」と知った部分がたくさんあったんですよ。
真山 私は金融は素人ですから当然だと思っていましたが、藤沢さんのようにずっとその世界にいる方にとっても、それほど難解なものなんですね。
藤沢 金融ってどこも今や大企業で、一人ひとりの専門分野が細分化されていますからね。意外と全体像は把握していないんですよ。サブプライム危機のときにしても、銀行のなかでも住宅ローン関連の仕組債に関わっていたごく一部のスタッフだけが直接事情を知っているだけで、他の部署の人は、ニュースを見て何が起きているのか知るケースが多かったと思います。
真山 そういうものらしいですね。私も今回、『グリード』の取材でニューヨークへ行き、当時リーマン・ブラザーズで働いていた日本人の方から話をうかがったのですが、友達から「大丈夫なの?」と電話をもらって初めて状況を知り、慌てて会社に駆けつけたとおっしゃっていました。
藤沢 結局、同じ投資銀行のなかでも、株を扱っているか、それとも債券を扱っているかによってぜんぜんやっていることが違うし、その中でも現物とデリバティブでは違うし、とにかく証券業と一括りにいっても、それはとても広い分野で、社員は細分化された専門分野を見ていますから、全体像はなかなかわからない。それこそ、全体像がどうなっているのか多くの人に知らせるのは、ジャーナリストや真山さんみたいな作家の仕事かも知れませんね。大体、投資銀行の社員は、自分の会社の重要な決定は、朝、会社に来て、ブルームバーグなんかのニュースを見てはじめて知るわけですからね(笑)。
真山 なるほど、それはたしかにそうでしょうね。
藤沢 リストラにしても、最初にロイターやブルームバーグなどで“○○社、1000人規模のリストラ計画あり”と報じられて、マネジメント側は一度それを否定するんだけれども、結局その通りに実行されたりとか(笑)。
真山 日本ではあり得ないですが、向こうは相当ドライにやるようですね。朝、出社したら席につく前に会議室に呼ばれて、上司から「今日から仕事はない」と解雇されるケースが相当あるとききます。
藤沢 外資系は基本的にそのパターンが普通なんじゃないですかね。結局、日本みたいに左遷したり配置転換をしたりして、リストラを匂わせるような状況のまま1年も2年も働かせるようなことはしません。モチベーションを失わせた状態で雇用し続けるのは、企業側にとってリスクがありますからね。
真山 なるほど、言われてみればそうですね。ということは、私が『グリード』のなかで描いたように、外資系の金融機関があらかじめ希望退職者を募るようなことは、実際にはあり得ない?
藤沢 そうですね、ないでしょうね。
真山 うーん、そうでしたか(笑)。現実はさらにドライである、と。
(次回につづく)
単行本『グリード』発売! ますます深みを増す人間ドラマの妙にぞくぞくすること間違いなしです。特設サイトで公開中の著者メッセージもお見逃しなく。