一故人

樋口廣太郎—「聞くこと」から始めたアサヒビール再建

先ごろ亡くなったスーパードライの立役者である、アサヒビールの樋口廣太郎氏をライター・近藤正高さんが論じます。氏がなぜ成功できたのか、そのヒントを歩みの中から探っていきます。

ビール市場に革命をもたらしたスーパードライ

あなたのお父さん(いや、お母さんでもいいのだけれども)は、あなたが子供の頃、家ではどのメーカーのビールを飲んでいただろうか。少なくとも、ぼくも含めて現在30代以上の世代では、もっぱらキリンかアサヒかサッポロかいずれかのビールしか飲まなかったという親御さんがほとんどだと思う。ちなみにうちの父親はキリンビールを飲んでいました。

ただ、本当にその会社のビールが好きで飲んでいたというお父さんは案外少ないはずだ。というのも、いまから30年ぐらい前までのビール市場では、各メーカー系列の特約店(問屋)が支配力を持ち、たとえばキリン系特約店の息のかかった酒屋なら、ビールをくださいと言えばキリンビールが出てくるのが普通だったからだ。いわば消費者は、メーカーと特約店に囲いこまれていたのである。

こうしたビール業界の常識を打ち破ったのが、1987年3月にアサヒビールから発売された「スーパードライ」だった。名前のとおり辛口で、さらっとした味覚、すっきりとした後味で飲み飽きのこないスーパードライは、明治以来ずっと苦みの強かった日本のビールを根本から覆すものであった。その大ヒットを受けて、他社もあいついで追随し世にいう「ドライ戦争」が起こったが、結局スーパードライの一人勝ちに終わった。それでも各社はドライ戦争終結後も、消費者のさまざまなニーズに対応した製品をこぞって開発、ビール市場に多様化がもたらされた。同時期にはまた、ディスカウントストア、スーパー、コンビニと、消費者が好みのビールを自由に選択できる流通体制が整いつつあった。

スーパードライは、ビールメーカー間の競争を、まず消費者ありきのものへと転換させたという意味で革命的な商品だったといえる。そればかりか、市場シェアを落とし経営が傾く一方だったアサヒビールにとっては、会社をよみがえらせた救世主でもあった。その発売時にアサヒビールの社長を務めていたのが、2012年9月16日に亡くなった樋口廣太郎(ひろたろう)である。ただし樋口はもとからアサヒの社員だったわけではない。同社のメインバンクである住友銀行(現・三井住友銀行)から経営再建のため送りこまれた、本人いわく“養子”であった。

アサヒ復活には、スーパードライの成功とともに樋口の貢献にも少なからぬものがあった。だが、のちに樋口が語ったところによれば、自分がアサヒに来た本当の理由は、再建ではなくむしろ幕引きをするためであったという(永井隆『ビール15年戦争』)。戦前の大日本麦酒をルーツとするアサヒとサッポロは、飲食店など業務用ビールを主力としたが、戦後、家庭向けビールで躍進したキリンにシェアを大きく引き離されることになる。とくにアサヒは、1980年代半ばには、新規参入組であるサントリーに抜かされるのも時間の問題となっていた。

住友銀行は、アサヒの再建のため1971年以来、樋口まで4代にわたり社長を送りこむ一方で、他社との合併に向け水面下で交渉を進めたものの、ことごとく失敗に終わった。樋口が「幕引きのため」というのは誇張でも何でもなく、文字通りの意味でアサヒに赴任したのである。

ライバル会社に自社の悪いところを訊ねる

樋口廣太郎は大正末年の1926年に京都で生まれた。終戦まもない1949年、京都大学卒業とともに住友銀行に就職し、47歳で取締役になってからは常務、専務、副頭取と異例のスピードで昇進した。将来は頭取になるつもりでいたというが、1986年、60歳にして住銀には戻らない覚悟を決め、アサヒビールの社長に就任する。

アサヒの社長となった樋口が会社再建のため実行したことはたくさんあるが、そこには人の話を聞くという姿勢が貫かれていたように思う。まず就任直後には、ライバル会社のキリンとサッポロにあいさつに赴き、各社の首脳らにアサヒのどこが悪いのか訊ねている。そこで返ってきたのはいずれも、「アサヒの売っているビールは古すぎる」「仕入れ原料も高いようだ」という答えであった。

当然ながらビールは製造して時間が経つごとに品質が落ちる。だが当時のビール業界では、前のラベルのビールを特定の飲食店に再販するというのが常識だった。これを樋口はあらため、製造から3カ月以上経ったビールはすべて買い戻して処分させた。またあるときには、市中から古くなったビールを集め、社内で毎月行なわれているビールデーで社員たちに飲ませることにより、自分たちがいかにまずいビールを消費者に販売しているか気づかせるという試みも行なっている。

仕入れに関しても調べてみると、ホップや麦芽などの原材料、また缶などの資材はどれも特定の商社やメーカーから買い入れており、かなり高い値段を支払っていることがわかった。麦は地域によって作柄が毎年変わるのに、仕入れ先がいつも同じではマンネリになってしまう。しかも競争原理が働いていないのだから、仕入れ価格も下がるわけがない。そこで仕入れ先と交渉して適正価格に下げてもらうことで、じつに約75億円もの資金が浮いたという。樋口はこれをよりよい原材料の買いつけや広告費に回した。さらに仕入れルートも複数にして、より合理的な価格で仕入れられる会社への発注を増やす方式にあらためている。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード