ケイクスカルチャー

日本の自殺の不都合な真実

ライターのオバタカズユキさんが、現代日本の自殺問題について思考を巡らせています。20年前のあの問題作から、これまでの国による自殺対策などを振り返り、日本が自殺とどう向き合ってきたのかを考えます。そこから徐々に見えてくる現状とはいかなるものでしょうか?

あの“問題作”を読み返す

 まず、一冊の有名な書籍から一段落分を引用させてもらう。この本のタイトルは? すぐにピンと来る方も少なくないはずだ。

〈こういう本を書こうと思ったもともとの理由は、「自殺はいけない」っていうよく考えたら何の根拠もないことが、非常に純朴に信じられていて、小学校で先生が生徒に「命の大切さ」なんていうテーマで作文を書かせちゃうような状況が普通にあって、自殺する人は心の弱い人なんてことが平然と言われていることにイヤ気がさしたからってだけの話だ。「強く生きろ」なんてことが平然と言われてる世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ〉

 1993年7月7日初版発行の本である。発売まもなく話題となる一方で問題作とされ、賛否両論を巻き起こしながらミリオンセラーに駆け上った。1998年頃からは有害図書指定とする地方自治体が続出。そのせいもあって今では伝説のアングラ本的なイメージを持つ若者もいるようだが、「日本の自殺」を振り返るには欠かせないエポックメーキングな一冊だ。

 もうほとんどの方がおわかりだろう。タイトルは、『完全自殺マニュアル』(鶴見済著/太田出版)である。

 内容は書名通り、自殺の各種方法をマニュアルとしてまとめたもの。著者は、徒手空拳で膨大な文献を集めて読みこんだらしい。医師でも薬剤師でもない一介のフリーライターが、具体的な薬剤名や毒物名を挙げて、クスリによる自殺方法と注意事項をわかりやすく解説。同様に、首吊り、飛び降り、手首・頸動脈切り、飛び込み、ガス中毒、感電、入水、焼身、凍死、その他の手段についても紹介している。

 マニュアル本体部分の筆づかいは、客観的で冷静だ。読者に自殺を勧めるわけでも、読者の自殺の意思を止めようとするわけでもない。しかし、著者の刊行に向けた思いは、上に引いた文面のごとく激しいものだった。その思いに共感し、『完全自殺マニュアル』を熱烈に支持する読者もたくさんいた。裏返していえば、当時の日本の世間一般は、それほどに自殺を忌避し、生きづらい人の気持ちを蔑ろにしていたということだ。

 比して、20年近く経った現在、自殺に対する日本の考えはかなり変化した。内閣府が2012年1月に実施した「自殺対策に関する意識調査」(PDF)では、「自殺は個人の問題か」との問いに、65.7%が「そうは思わない」、16.6%が「そう思う」と答えている。「自殺をする人は心の弱い人なんてことが平然と言われている世の中」は、すでに過去のものとなりつつある。

 鶴見済氏が嘆いた当時の世の中は、自殺者や自殺未遂者などを蔑視する排除の論理が支配的だった。それに対して、昨今の日本の自殺観は、そうやって排除されやすい人を擁護、支援する社会的包摂の論理のほうへ向かっている。


国は自殺とどう向き合うか

 こうした今日的なスタンスをくっきりと打ち出しているのは、2007年策定の「自殺総合対策大綱」だ。内閣府の自殺総合対策会議がA4用紙20ページほどにまとめた、政府が推進すべき自殺対策の指針である。

 この「大綱」は2012年の8月に初めての見直しがなされ、A4用紙30ページほどの(新)「自殺総合対策大綱」(PDF)に生まれ変わった。ニューバージョンの表紙には、「~誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指して~」という副題がつけ加えられている。そして、「自殺総合対策における基本認識」として次の3点を強調する。

〈自殺は、その多くが追い込まれた末の死〉
〈自殺は、その多くが防ぐことができる社会的な問題〉
〈自殺を考えている人は何らかのサインを発していることが多い〉

 要するに、自殺を個人の問題に押しこめるのではなく、社会が取り組むべき課題であると捉えよ、というわけだ。新しい「大綱」は、その基本認識のもとに、国、地方自治体、医療・保健・福祉機関、民間団体、企業、そして国民が、よりいっそう密な連携と協働を図るべし、と訴えている。

 『完全自殺マニュアル』の頃の世の中の空気を思い出してみると、よくここまで進歩したものだ、と私は感心する。一昔前までの自殺対策活動は、宗教家か、よほどの変わり者しか関わらないような暗くてマイナーなイメージだった。具体的にどこがやっているかと問われたら、「いのちの電話とかで、他は、えーと……」という感じだったはずだ。

 それが現在では、各都道府県や政令指定都市が実施している電話相談をはじめに、多重債務相談、失業相談、中小企業経営者相談、法的トラブル相談、いじめ相談などなど、ジャンル別の対応窓口が多種多様に存在している(参考サイト:ライフリンク「いのちのつながり」)。

 さらに、2012年3月からは、生きにくさや暮らしにくさを抱える人のあらゆる種類の相談に応じ、場合によっては専門家へのつなぎ役にもなる「よりそいホットライン」という社会包摂ワンストップ相談支援事業も始動している。

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