スタンド・バイ・ミー 
知らないのになつかしいアメリカ

伊藤聡さんの連載「およそ120分の祝祭」、今回はスティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』がテーマです。リバー・フェニックスが多くの人から注目されるきっかけにもなった本作。今も愛され続けるこの映画の普遍的な魅力に迫ります。

1984年夏、中学1年の僕は、真新しいロサンゼルスオリンピックのTシャツを着て、これといった目的もなく駅前通りをうろうろしていた。ロス五輪開催の高揚感は、東北の田舎町にもちゃんと届いている。それにしたって、あのアメリカって国はすごいんじゃないかと僕はおもった。わけても、開会式でロケットを背負った男が会場へ飛んでくる演出には本当に驚いた。その信じがたい光景を目撃し、まるで映画のようだと僕はおもう。実際のところ、僕はアメリカに夢中だった。映画『E.T』('82)や、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』('82)あたりから、うすうす感づいてはいたのだが、あの国は何とも形容しがたい輝きを発している。

中学生の僕が、映画や音楽を通して知った80年代のアメリカ人は、男も女もみな、やけにふわふわした髪型をしていて、悩みなんかひとつもないといいたげな顔つきで楽しそうに暮らしているように見えた。そこが何よりすばらしいとおもった。中学生の僕はまだ未熟で、リアルすぎる描写や地味な表現が苦手だったこともあり、80年代アメリカの提示するゴージャスさを好んでいたし、何よりその軽さに惹かれていたのだ。僕の中学時代にヒットした映画は、どれもポップで陽性だった。『ゴーストバスターズ』(’84)、『グレムリン』(’84)、『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』(’84)、『グーニーズ』(’85)。タイトルを挙げるだけでときめいてしまう。どれもポジティブで、ユーモアと軽さがあった。

『スタンド・バイ・ミー』(’86)の公開時、僕は高校1年。そこで、ただでさえ魅力的な80年代アメリカが、50年代ノスタルジアというあらたな武器を持ち出してきたことをあらためて知る。これは実に強力だった。『スタンド・バイ・ミー』で描かれる50年代のアメリカは、なぜかたまらなく魅力的に見えた。アメリカとはこんなに居心地のよさそうな場所なのだろうか? 一度も行ったことのない国の30年ほど前のようすを見せられて、僕はそこに懐かしさすら感じたし、できれば一度戻ってみたいような気がしていた。50年代ノスタルジアは『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(’85)でこれ以上ないほどにみごとな描かれ方をされており、同作を通じて50年代アメリカへの憧れはふくらんでいたのだが、そこへ来て『スタンド・バイ・ミー』の登場は決定的だった。50年代ノスタルジアは、アメリカが隠し持っていた意外な魅力だったのだ。

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くわえて、高校時代に読んだスコット・フィツジェラルドの小説『華麗なるギャツビー』(’25)も重要だった。この作品で描かれる、ジャズ・エイジと呼ばれる20年代の人びとの享楽的な暮らしや、彼らがギャツビー邸に集まって派手なパーティーを開く場面もまた、10代の僕にとっては魅惑的だった。こうしたいくつかの文化的体験から、僕が夢中になったアメリカの基本イメージはできあがっていくのだが、80年代、50年代、20年代と、アメリカにとって見かけのいい時代の姿ばかりをまず先に見たことで、いくぶん偏ったアメリカ像ができあがってしまった感は否めない。まるで恋人どうしが、まずは自分にとって最良の部分を見せて相手を惹きつけるように、80年代のアメリカは、主に映画を通じて、彼らにとって良き時代である50年代のノスタルジアを強調した。恐慌と第二次世界大戦の30〜40年代、ベトナム戦争、公民権運動で社会が揺れた60〜70年代といった、アメリカの矛盾があらわになり、混乱した時代の表現に触れるのはもう少し先だ。

『スタンド・バイ・ミー』が巧みであるのは、主人公の少年時代と、アメリカという国が無垢な少年のようでいられた50年代とを重ねあわせた点にある。本作が長く支持されつづけ、単なるノスタルジアで終わらない普遍性を獲得しているのはそのためではないだろうか。観客それぞれが内側に抱える、無垢だった少年/少女時代への郷愁が、50年代アメリカの風景を通じて普遍化されているからこそ、『スタンド・バイ・ミー』は美しい。50年代のアメリカに住む少年ほど純粋な存在がほかにあるだろうか? 観客がどこの国の生まれであろうとも、この物語に懐かしさを感じるのは当たり前なのかも知れない。

原作者のスティーブン・キングは、新作小説『11/22/63』(文藝春秋)においてもふたたび50年代を描いている。この小説で主人公は、現代から1958年へタイムトラベルし、63年に起きたケネディ暗殺事件を阻止するべく行動を開始する。このあらすじからも分かるように、アメリカの歴史をやり直すために戻らなくてはならないのは、やはり50年代なのだ。アメリカの社会は60年代以降に挫折し、さまざまな禍根を残してしまう。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の主人公は55年に戻り、家族を再生させた。これもまた同様のメタファーとしてとらえることができる。アメリカがゼロから何かをやり直すとすれば、ふり出しは50年代以外にありえないのだ。

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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コメント

shiba710 アメリカの80年代と50年代について。読み応えあるいい記事。でも、だからこそ、僕自身は80年代のあのキラキラした感じに馴染めなくて90年代と60年代が好きなんだろうな。 約4年前 replyretweetfavorite

raf00 ものすごくステキで共感する記事。俺の体も80年代ハリウッド映画でできてる。 約4年前 replyretweetfavorite

longroofitter 俺のほとんどは80年代のアメリカ映画でできてるよなーって 約4年前 replyretweetfavorite

campintheair 読んでネーー! 約4年前 replyretweetfavorite