原作と映画、どっちから入るべきか?
本好きの人、また映画好きの人たちがくり返す議論に「原作から読むべきか、映画から観るべきか」というものがあります。
たとえば、映画の『桐島、部活やめるってよ』が評判になっているとき、原作小説を読んでから映画を観たほうがいいのか、それとも映画を先に観て、おもしろければ原作小説にも手を伸ばせばいいのか、といった話です。
このとき、多くの人はストーリーに注目します。原作小説なり映画なりに先に触れて結末を知ってしまうことによって、もう一方を観る(読む)楽しみが奪われてしまうのではないか。これは誰もが考える問題でしょう。
しかし、僕はここでもうひとつ議論されるべきテーマがあると思っています。それは「視覚」をめぐる問題です。
本を読むとき、または文章を読むとき、読者は「視覚」という重要な感覚を失ったまま、その世界に足を踏み入れていくことになります。
登場人物の顔も見えないし、部屋に置かれたソファも見えない。どんな服を着て、どんな人が行き交う街を歩いているのか、最終的にはわからない。それが文章というものです。どんなに優れた書き手がいて、どんなに優れた読者がいようと、この罠から逃れることはできません。
たとえば『ノルウェイの森』の直子がどんな顔をしているのか、100パーセントの自信を持って「こうだ」と断言できる人などひとりもいないでしょう。