真剣師 小池重明(団鬼六)前編

官能小説家としられる団鬼六。断筆宣言していた団鬼六が復帰作として発表したのが今回扱う『真剣師 小池重明』(幻冬舎アウトロー文庫)でした。それまで描いていた「官能」ではなく、稀代のアマチュア棋士・小池重明の人生を描いた本作。団鬼六は小池重明のなにに惹かれたのか。finalventさんが、団鬼六という作家の本質に迫ります!

団鬼六と小池重明とは何者か 

 作品は作者と主題の、時には相反する関係の中に置かれる。「作者の胸中を主題として表現したものが作品だ」というほど単純ではない。また作品はそれ自体、作者や主題から切り離して読むことも可能だ。だがそれでも、作品は作者という人間や主題から逃れ切ることはできない。作品、作者、主題という三者の関係は、団鬼六作『真剣師 小池重明』では、奇妙で魅惑的な込み入り方をしている。

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)
真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

 端的に言い表すことができそうに思える。『真剣師 小池重明』という作品は、団鬼六という作家が棋士「小池重明こいけじゅうめい」を主題にして書いた評伝である、と。だが、その先ですぐに躓く。団鬼六は日本を代表する官能小説作家であり、「小池重明」は棋士なのだが、なぜ官能作家が棋士を主題に描いたのだろうか。そう問うだけで不調和が現れる。普通に考えれば不調和の元は、団鬼六を官能小説家として見るからであって、官能小説家という冠辞を除き、手練の作家による異風の棋士の評伝として見ればよい。そう思える。しかし、そうはいかない。この奇妙な不調和に、団鬼六作『真剣師 小池重明』の本質があるからだ。作品を問うなかで、団鬼六と小池重明とは何者かという問いが避けがたい。

 団鬼六は、表向きの純文学の系譜にはいない。加虐・被虐といった変態性愛を扱う大衆作家として捉えたほうがわかりやすい。エロ作家と言ってもいい。近代における「文学」のような光の当たる場所ではなく、陰になる場所がその持ち場である。あるいは、アンダーグラウンドな作家やアウトローな作家であるとしても、ジャン・ジュネやルイ=フェルディナン・セリーヌ、ウィリアム・S・バロウズやフィリップ・K・ディックといった国際レベルの強固な作家には及ばない。だが劣るというのではなく、そこが本質とも言いがたいだけだ。

 団鬼六をその作品群から見るとどうか。彼の多数の作品は大衆文芸史的に大きな意味を持つとしても、文学作品として高い評価を受けるものは少ないだろう。にもかかわらず、団鬼六は二流の作家ではない。そのことはどの作品であれ数ページほど文章の息遣いを見ただけでわかる。団鬼六を名乗る前の、20代の黒岩幸彦(本名)の作品まで見るなら天与の才が刻印されていたことも知るだろう。直木三十五の弟子を母親にもつ近代文学者の正統圏にある彼は、それをデビューの足がかりとしながらも、文学的な成功が見えるやいなや意図的に表舞台から逸脱した。その後は、虚構の世界を描き上げずにはいられない性分なのに、お高く止まった芸術のような世界からは逃げたがる衝動のようなものを抱えつづけた。

文学界の団鬼六と将棋界の小池重明

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