団鬼六と小池重明とは何者か
作品は作者と主題の、時には相反する関係の中に置かれる。「作者の胸中を主題として表現したものが作品だ」というほど単純ではない。また作品はそれ自体、作者や主題から切り離して読むことも可能だ。だがそれでも、作品は作者という人間や主題から逃れ切ることはできない。作品、作者、主題という三者の関係は、団鬼六作『真剣師 小池重明』では、奇妙で魅惑的な込み入り方をしている。
端的に言い表すことができそうに思える。『真剣師 小池重明』という作品は、団鬼六という作家が棋士「
団鬼六は、表向きの純文学の系譜にはいない。加虐・被虐といった変態性愛を扱う大衆作家として捉えたほうがわかりやすい。エロ作家と言ってもいい。近代における「文学」のような光の当たる場所ではなく、陰になる場所がその持ち場である。あるいは、アンダーグラウンドな作家やアウトローな作家であるとしても、ジャン・ジュネやルイ=フェルディナン・セリーヌ、ウィリアム・S・バロウズやフィリップ・K・ディックといった国際レベルの強固な作家には及ばない。だが劣るというのではなく、そこが本質とも言いがたいだけだ。
団鬼六をその作品群から見るとどうか。彼の多数の作品は大衆文芸史的に大きな意味を持つとしても、文学作品として高い評価を受けるものは少ないだろう。にもかかわらず、団鬼六は二流の作家ではない。そのことはどの作品であれ数ページほど文章の息遣いを見ただけでわかる。団鬼六を名乗る前の、20代の黒岩幸彦(本名)の作品まで見るなら天与の才が刻印されていたことも知るだろう。直木三十五の弟子を母親にもつ近代文学者の正統圏にある彼は、それをデビューの足がかりとしながらも、文学的な成功が見えるやいなや意図的に表舞台から逸脱した。その後は、虚構の世界を描き上げずにはいられない性分なのに、お高く止まった芸術のような世界からは逃げたがる衝動のようなものを抱えつづけた。
文学界の団鬼六と将棋界の小池重明
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