プロローグ—だらしない楽園

薬を飲むだけの怪しい高額バイト、そんな噂を聞いたことがありませんか? その名も「治験」。まだ開発段階の「新薬」を飲んで飲んで飲みまくり……。その薬のデータを取るために採血の連続。そんな治験歴7年、トータル入院日数365日、採血数900回。なんと報酬金額1000万円というプロ治験者の日常やいかに? 好評発売中の『職業治験——治験で1000万円稼いだ男の病的な日常』(幻冬舎)より1章・2章をcakesで特別公開いたします!
 もう何回目だろうか……。

 十五分ごとに、採血針が私の血管を突き破る……。

 今朝、ファイザー製薬の開発したアルツハイマーの新薬を飲んでから採血の連続。

 動物で唯一アルツハイマーに(かか)るアルマジロ。その次の実験被体が人間だそうだ。

 もちろん、治験には意義がある。新薬が開発されることで、何万、何十万という、病に苦しんでいる人々に光をもたらす。

「人類の進歩」

「医学の発展のため」

 だが、そんな高尚(こうしょう)なことを真剣に考えている奴はここには誰一人としていない。

 考えていることはただ一点。

「とにかく、金が欲しい……」

 五回目の採血までは覚えていたのだが、今は記憶がない。

 ないというよりは、忘れた。

 考えれば考えるほど、永遠とも思える時間と一定の周期で回ってくる採血がつらくなるだけだから……。

 痛さも、採血回数が増すごとに(ひど)くなる。一度や二度の採血ならば我慢もできるだろう。

 だが、人間の腕の採血できるポイントなどそう多くはない。二度、三度と同じ場所に針を刺すと、皮膚は()れ上がり、場所によっては内出血を(ともな)う。

 その色は、青、いや、正確には限りなく黒に近い青。

 私の周りを見渡すと、大部屋に十五(しょう)のベッド。男ばかり十五人。年齢は二十代前半から四十代までバラバラだ。だが、中心は二十代組。

 被験者の顔色は極めて悪く、覇気(はき)がない。

 当然だ。

 一週間以上も軟禁(なんきん)生活を送っているのだから……。

 また、総じてだらしがない顔つき。そして無精髭(ぶしょうひげ)。私と彼らは、金のために体(血)を売るという思想で共通している。

 薬は毎日飲む訳ではない。飲まない日は到って暇で、一日中漫画を読んだり、持ち込んだパソコンでネットをやったり、テレビゲームをやって時間を過す。大の大人がみっともないことこのうえない。

 採血は、一分間隔。看護師が各ベッドを回り、採血を行ってゆく。看護師の顔に笑顔や、また被験者への配慮はない。当然だ。この女性看護師は当直明け。疲労困憊(こんぱい)の顔。まるで、「物」に針でも刺すかのようだ。

 一度に採血する量はそう多くはない。おおむね一〇㎖。

 たっぷりと血を吸った採血管を、補助看護師が数回振ると共に、規定量採血できているか確認。振るのは血液凝固防止剤としてクエン酸ナトリウムを含ませるためだ。その後、採血管をクーラーボックスにしまう。

 私の番が、また、やって来た。

八雲(やくも)さんですね」

「……はい」

 私はゆっくりと上半身を起した。看護師は私の名前を確認すると共に、採血管のID番号を確認している。腫れ上がった私の肘窩(ちゅうか)を見ても一切動じることなく、採血ポイントを確認している看護師。駆血帯(くけつたい)(ゴムバンド)で腕を縛る。数秒すると、血の流れが(とどこお)るのが諒解(りょうかい)できる。正座を長時間したときに似た感覚。

 そして、アルコールの匂いが鼻を刺激する。

 正直もう()ぎたくない匂い。

 だが、むやみに動いたり、力むことは危険だ。疲れきった看護師の集中力を狂わせ、採血針は、血管ではなく筋肉に突き刺さる。

 この痛さは、まさに筆舌に尽くしがたい。ただ、黙って、上手に採血が終わることを祈るだけだ……。

「ちょっと、チクッとしますよ」

「……ウッ」

 針は、容赦(ようしゃ)なく、内出血でどす黒く変色した私の皮膚を突き破る。思わず声が漏れる。異物が自分の体に入り込む感覚。そして、肉体を(えぐ)り込む。無意識の内に右腕に力が(こも)り、そして、かすかな震え。採血管をゆっくり昇っていく赤黒い液体。新薬の薬効と、採血の痛さで混乱しつつある私の思考。朦朧(もうろう)とした視線で、液体が満たされるのを細目で(なが)めていると、なんと遅いことか。

 現実には二十秒ぐらい。

 だが、私には、その何倍もの時間。

 存分に血液を吸い取った採血管は、私の腕に刺さっている真空採血管用ホルダーから離れ、採血を補助する看護師の手に渡る。そして、規定量の確認。そして、その看護師の声が響く。

「……量OKです」

 その声を聞くと駆血帯を解く。そして、腕に刺さった採血針をゆっくりと抜く看護師。この、針を抜くときが、刺すときと同じほど痛い。針を抜くと同時に、小さなアルコール綿布を四つ折にしたものを、先ほどまで針を刺していた場所に当て、止血バンドで押える。

 そして、痛さを(こら)えていると次の採血。

 採血メリーゴーランド。

 ふと隣の被験者を見ると、苦痛で顔が(ゆが)んでいる。

 グッと奥歯を()み締めて耐えている様だ。

 誰だって痛いに決まっている。

 だが、私たちに弱音は吐けない。

 なぜなら、「職業」として生計を立てる「プロ治験者」だから。


割がいいのか、悪いのか? 噂の治験の裏側がここにあります。
日本だけに留まらず、欧州、南米と世界の治験を体験した著者が、薬が生まれる前での恐るべし工程を綴った一冊、続きが気になる人はこちらからどうぞ!

職業治験 治験で1000万円稼いだ男の病的な日々

ケイクス

この連載について

職業治験—治験で1000万円稼いだ男の病的な日常

八雲星次

薬を飲むだけの怪しい高額バイト、そんな噂を聞いたことがありませんか? その名も「治験」。まだ開発段階の「新薬」を飲んで飲んで飲みまくり……。その薬のデータを取るために採血の連続。そんな治験歴7年、トータル入院日数365日、採血数900...もっと読む

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コメント

nananagai_jp ちょっと知りたい治験の実態。興味あり。 約3年前 replyretweetfavorite

FumiKasai まあ、いろいろおかしい。 約3年前 replyretweetfavorite

gateballism うーん、なんというか、いろんな生き方がありますね。 約4年前 replyretweetfavorite

bodyhacker プロロー探せばあるんだねいろいろ グ——だらしない楽園| 約4年前 replyretweetfavorite