その“間”を待てるか待てないか
(一番最初にオーダーされた方の『LIFE VIDEO』の映像を見ながら。インタビュー中、女性に45秒の沈黙がある)
加藤貞顕(以下、加藤) いや、これはすごい、すごいですね。最後にお母さんの話をちゃんと振りつつ、その答えをじっと待つ、土屋さんのインタビューの技が。
土屋敏男(以下、土屋) これね、この“間”を待てるか待てないか、って、やっぱりありますよね。
加藤 結構……待てないですよね、あの“間”が。この女性、映像を思い出してましたね、たぶん自分が生んだときの様子を。ほんとにありありと。
土屋 はい。こっちも自分の頭の中で「もうここで、この画がこう寄ってってるな、音楽ここで入って……」って思い浮かべてます。
加藤 だからあれだけの“間”をちゃんと待ってるんですね。
土屋 で、「よし、撮れた!」って(笑)。
「あと1分しゃべってください」からの本音
(引き続き映像を見ながら)
加藤 あ、これはお父さんですか?
土屋 うちの親父です(笑)。「ちょっと撮らしてよ」って言ったら突然着替えてネクタイ締めて。
土屋敏男さんのお父様、警察官であった土屋久氏のLIFE VIDEOダイジェスト
加藤 これすごいよかったですよ。最後に1分あまるところ(笑)。
土屋 なんか手ごたえがなくてね。まじめだからあたりまえのことしか言わない。だから「いやー、ほんとによかったと思うよ」って言ってから、あともうひと絞りだなと。……なんていうかこう、「本当のことが撮れるまで帰らない」みたいな(笑)。それで、「あと1分しゃべってください」って言ったら、いいこと言うんですよね。
『電波少年』の猿岩石にしたって、最初はもういい加減なわけですよ。テレビなんだから助けてくれるだろ、って思ってる。だからつまんないわけですよ。タバコ吸いながらヒッチハイクしてたり。
加藤 はいはい(笑)。
土屋 ダメだろこいつら、って思って(笑)。でもベトナムくらいから、ほんとに助けてくれない、ほんとに自分たちで旅をしないと……ってなってから顔つきが変わるんですよ。
猿岩石がベトナムからラオスに入るときに、パスポートセンターが土日休みに入っちゃって、ついに最初に渡した10万円もなくなって、ほんとに何も助けてくれない。で、月曜日にやっとスタンプが押されるわけですよね。これでようやくラオスに入れるってときに「このスタンプのために3日……!」って、有吉が思わずこぼすんですけど、その映像が送られてきたときに「あ、これいけるな!」って思ったんですよね。
加藤 おおー、なるほど。
土屋 他にもトラックのターミナルにいって、油だらけのトラックに乗って、国境を越えて降りたところで日が暮れはじめて、その夕暮れの景色の中で彼らが油だらけになった顔をこすりながら、ラオスの風を受けて立っている、って画があるんですけど、あの画が撮れたときに「この企画はいける!」と思いましたね。
だから、人が本当に人生の……自分の芯の部分にさわりながらしゃべってるかどうかがわかるっていうことが、一番の技術だと思うんですよ。
加藤 かなり難易度の高い話ですよね。僕、それってアートだと思うんですけど、テレビ制作の人はみんなできることなんですか?
土屋 僕と、僕が認めたディレクターたちはできるんですよ。こういうレベルのもので作ってくんだよ、って言うとやっぱりプロ同士はわかりますから。
こういうところまでいかないと『LIFE VIDEO』ではないんだなというつもりでディレクターたちも入ってるし。
“アポなし”が生まれた日
加藤 『電波少年』も『LIFE VIDEO』も、「いける」ものがあるかは、始める前はわからずにやるんですね。
土屋 そうですね。『電波少年』恒例の“アポなし”にしても、最初はわからずに始まったんです。
松本明子が営業で羽田に行くときにモノレールに乗ったら目の前にすごいでかい人がいた。住友金属所属のバスケット選手の岡山恭崇さん(※1)だと聞いて、その人に会いたいと。それで岡山さんは普通の人より机がでかいのかとか、そういうバラエティでありがちな(笑)、下世話な内容で行こうとするんですよ。で、向こうの広報に連絡したんですけど、「NO」って言うんですよ。
※1 住友金属(当時)所属の元バスケットボール選手・岡山恭崇氏。本人によると身長は227cmくらい。日本で一番身長が高い人物とされている