庭は誰のためにあるのですか?
Q. その庭がもともと誰のためにあったのか、そして現在の価値は何なのかということを考え直すというお話は凄くよくわかります。僕たちの仕事でも、クライアントをまず意識するということはとても大事だと思っているんですね。ただ、例えば広告業界という誰かが誰かのために作った仕組みなどによって、自分たちが作るものの価値に対する意識が、どこかズレてきているような気がしていたんです。そこで、自分たちで新たな価値を作り直すために「世界」という会社を京都に設立したんです。小川さんもお庭の仕事や京都市「DO YOU KYOTO?」大使などの活動を通して新しい価値を伝えようとしているような気がします。
小川:なんでも一人よがりになってしまうと良くないと思うんですね。例えば、お庭の仕事にしても、木の剪定をする時に目の前の木一本としか対話しない人がいるんです。もちろん、木を美しくすることは大切なんですが、この木を美しく見せるためには、庭との関係や空間の中でのその木の必要性ということを考えないといけないんです。つまり、木の手入れをする前に、お庭の手入れを考える必要があるんですが、それができる人は意外に少ない。木がいくら立派でも、それによって灯籠が見えなくなってしまったらもったいないですよね。結局、私たちが何のために庭を手入れするのかというと、人に喜んでもらうためであって、やっぱり人がいないお庭というのは寂しいものなんです。職人仕事がベースになりますが、人の心持ちを察し具現化するサービス業だとも考えています。
Q. 目の前のものを美しくすることだけに徹していては、作り手として不十分ということなんですね。
小川:それはそれである種のスペシャリストと言えると思います。でも、私としては、お庭は人に見て喜んでもらうためのものであり、そのために木や石があると考えています。お庭というのは難しい顔をして見ないといけないというイメージが強く、敷居が高くなってしまっていて、あまりにも日常と距離が開きすぎてしまっている気がします。「家庭」という言葉が、「家」と「庭」という字でできているように、庭というのはもっと日常に当たり前にあるものなんですね。いまはお金を払って見に行くものになっていますが、そういう非日常の庭も大切な一方で、植木鉢ひとつでも自分の手元に自然を感じることが大事だと思っています。遠ざかってしまった人と庭の距離を縮めたいという思いが自分の中にあるんです。車や時計のように、かつてお庭がステータスだったこともありましたが、いまはもうそういう時代ではありません。一部の方しかお庭が持てないという現実もあるかもしれませんが、ちょっとした心がけや思いを持つだけでお庭は身近な存在となり、現代ならではの向き合い方もできるのはないでしょうか。
Q. 小川さんには庭本来の魅力を翻訳して一般の人に伝えるという役割があるんですね。
小川:はい。この実相院さまのお庭は、一般の方たちと一緒に作っているんです。前回のワークショップでは60人くらいの人にお庭を体感して頂くという主旨で、みんなで見様見真似で苔をはったりしていったのですが、お庭にこれだけの人が入るということはないので、とても楽しい光景でした。お庭には普通の人が入ってはいけないと思われがちですが、庭に人が入ることで動きが生まれてくる気がするんです。自分たちで造った庭には愛着も湧くし、苔が枯れないかとみんな気になってしかたないんですね。ともすれば職人のルーティンワークになりかねない仕事も、参加してくれる人たちにとっては思い出になるんです。例えば、小学校の頃にお父さんが入学記念で庭に植えてくれた桜の木を大人になって見ると、当時の記憶が甦りますよね。お庭というのは、時として人生にとって大事なものになる。こうしたオープンなお庭造りというのは今後も模索していきたいと思っています。
岩倉実相院で行ったワークショップの様子。
庭には何を伝えることができますか?