ソーシャルメディアは消耗戦
この連載は、途中から、cakesさんでも配信されました。また、ぼくのツイッターのフォロワーは一二万人もいます。マスコミでは、ソーシャルメディアに詳しいひとと思われているようです。
けれども、現実にはぼくはソーシャルメディアを全面肯定ではありません。コミュニケーションのプラットフォームとしてはたしかに便利ですが、コンテンツのプラットフォームとしては致命的な弱点を抱えているからです。
それはなにか。まさに体力の問題と関係しています。ソーシャルメディア上の評価は体力と強い相関をもっています。岡田斗司夫さんが「評価経済社会」というように、現代社会では他人の評価が可視化され富に変わる。ソーシャルメディアはそれを体現していると言われます。
しかし、そこでの評価とは、要はサイトのページビューやツイッターのリツイートやフェイスブックの「いいね!」のことです。では、それらの数を増やすにはどうすればいいか。だれもが知るように、ここからさきは純粋に体力勝負です。むろん、投稿者がなにも努力しなくても、一万を超えるRTや「いいね!」がつくような例外的事例はある。投稿内容が大衆の無意識に共振した場合や、有名人の発言のような場合です。
しかし、たいていの場合、ソーシャルメディアにおいては、露出の数が多ければ多いほど確実に注目度はあがる。ツイッターにしてもフェイスブックにしてもメルマガにしても、更新頻度が高ければ高いほど読者は増える。これはもう絶対的な法則です。体力を使えば使うほど、評価は高まっていくのです。
これは現実に、ぼく自身がいま直面しているジレンマでもあります。ぼくはいま、大学を辞めて、ゲンロンでの出版と経営に主な時間を割いています。ゲンロンは会社ですから社員がいます。広報もいます。けれども、ぼくはそのだれよりも発信力が強い。社員がいくら努力してブログを書いても、結局はぼくのツイッターが頼みなのです。
いや、それは弊社だけの話でもありません。ほかの出版社で単行本を作っても、あるいはイベントに招かれても、いつも言われるのは「東さんのツイッターで宣伝してください」です。その要望はまちがっていません。ぼくもできるだけすべてに応えたいと思います。けれど、そうすると、ぼくはずっとツイッターをやり続けているしかなくなってしまう。
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