二〇〇五年秋 カリフォルニア州 バレーホ
ナパの実家から南へ三〇分あまり車を走らせると、バレーホの街だ。そこに入るなり、ジャッキーは息をのんだ。軒を連ねる真新しい住宅のことごとくに、“for sale”の看板がぶら下がっている。街の中心にあるウォルマートは閉鎖されて、窓ガラスが何枚も割れていた。人口一二万人のこの町が、連邦破産法九条に基づく更生手続きの適用を申請したという記事を頼りに来てみたが、〝惨状〟は想像以上だった。
父から借りたトーラスを不動産屋の前に停めて、周辺を歩いてみた。売り物件広告が埃まみれのショーウインドーに所狭しと貼られている。なかなか売れないらしく、赤ペンで新しい金額が何度も上書きされていた。
「いらっしゃい」
小太りの男一人が店番をしている。愛想がいいのは何よりだが酒臭かった。
「こんにちは。みんなこの辺の物件ですか」
臭いを気にしちゃダメ、と自制しながら、ジャッキーは愛想よくしゃべった。
「ああ、そうだよ。築年数も新しいお得物件だよ。よりどりみどり、選び放題だ」
築年数が新しいのは、ローンがすぐに払えなくなって没収されたからだろう。
「通りを走ってきたけど、売り家ばっかりだったわ」
「そりゃそうさ。皆、ローンが払えず追い出されちまったからね。あんた、政府の人か」
スタンフォード大学のロゴが入った洗いざらしの紺のトレーナーにブルゾンを羽織り、ジーンズという格好をしてきたのに、客と思われないのが意外だった。
「どうして?」
「こんなところで家を探すWASPはいないよ。だとしたら、政府の人間だろう。なんだい、ようやく実態調査をやる気になったか」
ジャッキーは相手の勘違いを利用することにした。
「それにしても酷いありさまね」
「政府と投資銀行が悪いんだよ。そもそも家なんて買えない奴らにローンを組ませようとした罰だな」
「値崩れが止まらないみたいだけど」
さりげなく話題を変えた。男はタバコに火をつけると、煙をショーウインドーのガラスに吹き付けた。
「止まらないどころか大暴走だ。この値段で二軒まとめて売ってもいいぐらいだ。値段が上がると聞いて銀行からカネ借りまくって、この辺だけで二一軒も家を買ったんだぜ。それがいまや、半額でも売れやしない」
戦後一度も起きなかった〝異変〟が、始まろうとしている。どうやらストラスバーグの懸念は的確だったらしい。
二〇〇六年一月 東京 新橋
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