かつて病気の代表といえば結核で、悲劇のヒロインがそれで死んでしまうパターンはそれなりにあった(『風立ちぬ』を思い出してほしい)けれど、いまそうした役目を果たしているのはがんだろう。スーザン・ソンタグが1978年に出した『隠喩としての病』(みすず書房)は、白血病(がんの一種)だと宣告されたり、がんで余命半年と知ってしまったり、というのが物語の定番になっていることを指摘していた。この本自体は、いまここにまとめた以上の話はあまりない(ああそうそう、がんに続いてエイズについても同じような切り口で扱おうとしていたが、エイズがはやくも症状をかなり抑えられるようになり、かつてほどの衝撃性を持たなくなってしまった今から見れば、勇み足の観あり)代物だったと思うけれど、がんが病気としていまや死因の筆頭格の一つとして恐れられているというのは事実。
その歴史——特にがん治療法の歴史——をまとめた大作が、シッダールタ・ムカジー『病の皇帝「がん」に挑む』(早川書房、上下)だ。上下巻の分厚い本で、読み応えたっぷり。自分も臨床でがん患者に向き合った経験を交えつつ、がんに対する人間の無力ぶりと、それでも外科切除、化学療法、放射線療法といった様々な治療法を開発し、苦闘してきた歴史を語る本で、地味でありながらドラマチック。
それぞれの療法が、スムーズに導入されるどころかまったく相手にされず、むしろ既存療法支持者たちから異様な抵抗に遭う中で、偏執狂のような人々の努力によりやっと導入される経緯は、その一つひとつがドラマとしてすさまじい迫力だ。それもがんに対する戦いが単なる医学や科学の学問的な問題ではなく、むしろ社会キャンペーンの問題であり、政治的な戦いでもあったという点についての指摘はきわめて強力だ。特にこれは、がん予防、たとえばマンモグラフィーや特に喫煙に対するキャンペーンにおいて重要な意味を持っていた。
が、そうした活動が成功を収めても、どの療法も一時的に効くように見えて、それでもすぐに再発をもたらし、限定的な効果に終わってしまう。それが一部の療法家をさらに極端に走らせ、という悲しい歴史もがんにつきまとう宿命だ。その遅々とした歩みに対するいらだち、諦念、それでも遅々ながら進んでいることへの希望、同時に人類ががんに勝てないかもしれないという研究からくる不安——医師たる著者による実際の患者たちとの交流の記録が、それを切実なものとしている。
個人的には、本書でもっと強調してほしかったのが、がんが高齢化の病気だということ。がんは、高齢になれば増える。だから昔はがんがあまり目立たなかったし、いまがんが増えているのは、世界中の人が長生きするようになった自然な結果でしかない。その意味で、ペストや天然痘の治療とは本質的にちがうのだ。でもそれを理解しない多くの人たちが、がんが増えているのは農薬のせいだとか公害で発がん物質が悪いとか食品添加物がどうだとか、がんを口実にした見当違いのデマを展開している。それはもうちょっと触れてほしかったようにも思う。むろん、そうした記述がないわけではないのだが……。
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