夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル)

finalventさんの『新しい「古典」を読む』、今回はユダヤ人としてナチスに囚われた体験が綴られた『夜と霧』。アウシュヴィッツ強制収容所という絶望的空間で、著者フランクルはなにを感じたのか。そして今、この本を読む意味はなにか。ぜひご一読ください。

 絶望的な状況に陥ったとき、人はどう生きたらよいのか。1944年10月、39歳のウィーン生まれのそのユダヤ人医師は、結婚9か月の妻とともに貨車に押し込まれた。1500人のユダヤ人と一緒に貨物として数日運ばれ、アウシュヴィッツに到着した。明け方の空の下に巨大な収容所が数キロにもわたって見えた。そこで彼は妻と引き裂かれ、持ち物をすべて奪われた。医師の男はただ「119104」という数字して扱われた。貨車から降ろされた人々は2分間で衣服を脱げと命令され、消毒のためだと言われシャワー室に追い込まれた。シャワーからは水が出た。殺人ガスが出てくるのだと思っていた人々は瞬間、歓喜したが、その先には地獄の日々が待ち構えていた。まさしく絶望的な状況だった。

 「119104」。ヴィクトール・フランクルである。彼は文字どおり骨と皮に成り果てて強制収容所を生き延び、本書『夜と霧』を著した。9日間で一気に書き上げたという。

 私は10代のとき、霜山徳爾氏によるその翻訳書を読んだ。1970年代のことだ。書架に置きその後もたまに読み返したが、30代半ば以降に手にしたことはなかった。2002年に原書の1977年版を元にした、池田香代子氏による新訳が出たことは知っていたが手にせず、昨年以降、東日本大震災で心の支えとして同書を読む人が増えたこと、NHK番組「100分de名著」で扱われ好評を得たことを知り、ようやく新訳を読んでみた。あわせて2006年改訂の英訳書も読んでみた。日本語新訳ではあまり気がつかなかったが、英語で読むと叙事詩の響きがあった。

夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録
夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録

 同じ出版社から新訳が出たからといって、1956年出版の霜山訳が絶版になったわけではない。新訳は原書の改版内容を反映し、日本語としてもこなれた印象を受けるが、内容は霜山訳と大きく変わったわけではない。違いは書籍の体裁にある。霜山訳では書籍前半の三分の二近く、ドイツ各地の強制収容所についての解説がある。悲惨な写真も数多く掲載されている。フランクルの手記にあわせてナチスの元で行われたユダヤ人虐殺の概要を詳しく知りたいなら、霜山訳のほうが好ましいだろう。また霜山訳ではフランクルの手記も物語の展開のように9つの章に分けられている。

夜と霧 新版
夜と霧 新版

 新訳にはユダヤ人虐殺についての解説は含まれていない。章立ても変わった。強制収容所という絶望的な状況におかれた人々の心理学的な変遷として、序論と変化の三段階で4つの章構成になっている。悲惨な歴史を伝える文書というより、精神医学者の手記という印象が強い。その他、新訳では訳者の後書きにあるように原書の改訂に併せて「ユダヤ人」についての扱いが変わったことが記されている。もし、霜山訳と新訳のどちらを読むべきか私に問われるなら、新訳をお薦めしたい。本書の現代的な意義は、絶望状況に置かれた人間の心理学的な考察が重視されるべきだろうと思うし、それが著者フランクルの意図でもあったからだ。

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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わない様々な記事を書かれているが、その中でもとりわけ人気が高いのが書評記事。本連載は、時が経つにつれ読まれる機会が減っている近代以降の名...もっと読む

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