生きがいについて(神谷美恵子)後編

神谷美恵子『生きがいについて』評、後編です。精神科医であり、翻訳家であり、作家でもあった神谷美恵子。語学の素養と、深い教養を持った神谷が、「生きがい」についての本を書いた理由とはなんでしょうか。後編では、神谷が生涯尽くしたハンセン病医療の中で、患者と向き合うことで得た「生きがい」の本質について。稀代の才媛・神谷美恵子自身に迫る書評です。

精神か、肉体か


生きがいについて みすず書房

 著者・神谷美恵子の生涯はハンセン病に尽くしたと語られることが多い。その患者との最初の出会いは、前回触れた大田雄三『喪失からの出発 神谷美恵子のこと』(岩波書店)で解明されたように、少女時代の恋人・一彦の死に続いたものであり、その献身は自身の喪失と絶望の代償となるものだった。そこから彼女は、自身の有り余る語学・人文の才能を振り捨てて医師となり、一旦は家庭人なったものの、そこに一段落をつけてから、ふたたび医師としてハンセン病に取り組むことになった。

 研究者の大田はその動機を、普通の社会から放り出された人間に対する一体感に根ざしていたと見ている。間違いではないだろう。だが、その一体感は倫理的ないし精神的なものより、肉体的なものではなかっただろうか。というのは、前回、美恵子の肉体と「生きがい」の関連に触れたが、ここで肉体として意識されているのは、ハンセン病によって損失される肉体でもあったからだ。美恵子にとってハンセン病に病む肉体は、愛する者に死なれてなお食欲をもてあます肉体と同値だった。ハンセン病と肉体について論じる「7 新しい生きがいを求めて」で彼女はこう語っている。

 しかし、人間の存在の価値というものは、人格にあり、精神にある、ともしひとがはっきりと考えるならば、自己の肉体の状況がどうであろうと、これにかかわりなく自己の精神の独立の価値をみとめていいはずである。病者が自己の存在に正しい誇りをもち、自尊心を維持し、積極的な生きがいを感じようとするならば、この道しかないであろう。このことは、しかし、あたまで、思想として、考えるのは簡単だが、生存感自体にまでしみこませることは容易ではないらしく、そこに至るまでにはさまざまな迷路にまよいこむ。
また自己の肉体の状態を客観的に評価しえず、たえず小さな故障にとらわれ、いわゆる心気症の形で肉体に隷属しているひともある。肉体に対してつかずはなれずの態度をとることは、人間にとってなんという難題であろうか。肉体からくる制約をすなおに受け入れ、苦しいときは苦しみ、治療を要するときは治療をし、肉体のもつ自然治癒力を信じ、医学の力をもみとめ、しかもこれにとらわれないこと。肉体とはなれた存在価値というものを適切な形で意識すること。—これがどんなにむつかしいことであるかということを、これらのひとびとはまざまざとあらわしている。

 肉体的な欲望が人生のなかで占める意義を知ろうと格闘している美恵子の姿がある。ここでは肉体はまだ精神との二元論の枠組みで議論されているが、肉体のなかに自然性を見る志向から、のちのヴァージニア・ウルフ研究では狂気の根を見つめていく過程で、おそらく肉体の力はより大きな課題となっていっただろう。またそこで彼女は、精神の優位を説くキリスト教という宗教も終えた。

 だが、肉体の自然性のなかに「生きがい」が見つかるわけではない。絶望から再生へのプロセスは、再び肉体から精神の問題へ揺れ動く。どこかに、答えはあるのだろうか。ないのである。島の「らい」患者を例として、「10 現世へのもどりかた」で率直に述べられる。

 このような、底知れぬむなしさは、しかし、らいにかかって島にとじこめられている人に限ったことであろうか。否、ほんとうは、人生そのものに内在しているものである。そのことを私たちはあの生きがい喪失者の世界でつぶさにみて来た。

「生かされていることへの責務感」
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