才能、意識、そして読書

「新・山形月報!」、今回は高野文子『黄色い本』、マシュー・サイド『才能の科学』、谷淳『ロボットに心は生まれるか』などを取り上げ、考えることと読書をめぐって綴ります。そして、今回がついに最終回なんです。お名残惜しいけど、さようならー。皆さん、良い読書と人生を!

さて、今度こそ最後かな。

引っ越しで荷物整理をしていたら高野文子『黄色い本』(講談社)が出てきた。そうそう、以前に『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)を扱ったときに、ついでに言及しようと思って、その準備として昔に読んだロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』(白水社、1~13)を少し再読して、ウゲッと思い、結局書かずじまいになってしまったんだった。


黄色い本 (KCデラックス)

『チボー家の人々』は、フランスのあるブルジョワ一家が二十世紀初頭の時代に翻弄される様子を描き、そしてそれを通じてある時代の様相とその変遷を描き出そうとした小説ではある。チボー家の二人の兄弟とその友人が中心として、その思春期、性的なめざめ、己の社会的地位(つまりは父親)への反発と葛藤、革命への憧れ、第一次世界大戦に向かう世界と反戦、といったテーマが扱われる。たぶん、多くの人はその中でも、ちょっと反抗的で、自分に敷かれたレールを拒み、作家になって革命運動だの反戦運動に身を投じ、というジャックくんに感情移入しつつ読んだんだろうとは思う。彼の部分だけをまとめた『チボー家のジャック』という本も出ている。

そして……いま読むと、それが非常に青臭い。しかも、あまりにありきたり。ジャックくんの悩みの、なんとぜいたくで、なんとお坊ちゃんで、なんと鼻持ちならないものか……と30年ぶりに読んだときにはそう思えてしまったのだけれど、たぶんそれはぼくの歳のせいなんだろう。たいがいの人のたいがいの若き日の悩み—それは各人にとっては実にユニークで深遠で迷いと恐怖に満ちた一回限りの重要なものなんだけれど、でもそのほとんどは、だれもが何らかの形で経験する、つまらない、どこにでもあるものでしかない。でも、まさにそれこそが『チボー家の人々』の流行った理由だったんだろうね。

みんな、本当はつまらないどこにでもある「悩み」を真剣に考え、そしてそれを (自分より社会地位のかなり高い)ジャックくんと、本当に個別のものとして分かち合えたような気持になる—そしてそれが時代の雰囲気にも呼応したからこそ、『チボー家の人々』は売れもしたんだろう。そしてその時代が変わったとき、もはやかつてほどの迫力を持たなくなった、ということなのだろうね。

『黄色い本』は、その本が日本の1960年代に持っていた力を描きだしたマンガだ。田舎の女子高校生・田家実地子が『チボー家の人々』を読みつつ育ち、就職して、そしてその中でときどきジャック・チボーに思いを馳せたりする。主人公は、ジャックくんのようなかっこいい革命運動や資本主義批判にあこがれつつ、自分が日常にとらわれていることを嘆き、むずかしげな革命思想を口走っては見つつ、就職して自分が普通の世界に活きるしかないことを悟り、でも最後にこの全5巻の本を買おうか考えつつ、図書館の中でそれが置かれた場所の重みが残り続ける—それだけ。

しかし、おそらく1960年代の多くの人は、まさにそういう気持を共有していたはず。うちの母親も、この全5巻を持っていいて本棚に並べていた。母もたぶん、和歌山から出てきて当時の60年安保時代の雰囲気を少し抱きつつ、共感とあこがれを抱いてこの本を読んだはず。母が、結婚してから—あるいはこどもが生まれてから—一度でもあの本を読み返したことがあるかは知らないけれど、ぼくが中学時代に好奇心で読んでみたときのホコリのかぶり具合からして、たぶんなかったんじゃないか。それでも、その本とそれを読んだときの自分の心が、物理的な場所として本棚にある—それが本を読んだり、買って(読みもせずに)すっと持っていたりする意味、でもあったりする。

そんなことを、いま引っ越しのために大量に本を処分しつつ思ったりするのは、本というものにそうしたセンチメンタルな意味が、少なくともこのぼくにとってはつきまとうから、ではある。

はじめて感情移入というものを教えてくれた『ないたあかおに』、自分の知らない遠くの世界に思いを馳せることを教えてくれた『エルマーとりゅう』、SFと民主主義を教えてくれた『ノーチラス号/海底二万哩』と『十五少年漂流記』、おっかない謎の世界があるのだと教えてくれた(でも実はほとんどウソだった)真樹日佐夫『世界怪奇スリラー全集 世界の謎と恐怖』、ゴミ置き場から拾ってきて以降SFの主要作品を読む際のアンチョコになった半村良『亜空間要塞』、少女漫画の世界を一気に拓いてくれた萩尾望都『精霊狩り』と『十一人いる!』、そこから光瀬龍&萩尾望都『百億の昼と千億の夜』、それを現代社会とからめて論じることがそもそも可能なんだ、ということを教えてくれた橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』、受験勉強しているはずの図書館で見つけて、いまの自分と全然ちがう世界と生き方があり、それを自分で体験することもできると教えてくれた清水潔『インド・ネパール旅の絵本』、高校時代の青臭い世間への斜に構えた(誤用なのは知ってます)態度を肯定してくれるように思えた岸田秀『ものぐさ精神分析』と、それに影響されて伊丹十三が始めた雑誌『モノンクル』、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』……

いまにして思えば、大したことないもの、インチキだったもの、もっといい本があったもの、その他いろいろで、他の人に「あんたもこれを読め」と薦められるわけではない。でもそのとき、そのタイミングで、たまたま出会ってぼくにとっては重要だった本ではあり、そうしたものについてチマチマ書いてみたいような気もするものの、他方で、高野文子の『黄色い本』ほど、個別的であり、その人だけのものでありながらも普遍的な読書体験というものを描き出すのは、たぶん不可能だろうとは思う。

その一方で……そういうのにこだわっているばかりだと、懐古趣味になるばかり。それはゴミ屋敷の人々が捨てられない理由でもある。

カンバーバッチ主演の『シャーロック』や、ハリス『ハンニバル』なんかを読んだ人ならご存じの通り、記憶をある物理的な場所と対応させることで体系づけ、大量に記憶を行う記憶術がある。本の多く、物理的なモノの多くは、そうした物理的なプレースホルダーとしても機能している。だからこそ、紙の本というのはなかなか捨てがたい。そして、あらゆる場所その他と同じく、それはどこでも何でもいいわけじゃない。やっぱりよく使うものの場所、アクセスしやすい場所というのはある。記憶のよい場所を占拠しているものを放置しておくと、他のものの入る場所はどうしても減ってくる。だからどこかでそういうのを適度に整理しつつ、捨てるものはあっさり捨てる必要はあるし、それをしないと新しいもの—新しい知識、新しい技能—の場所がどんどんなくなる、というのをぼくは信じてはいるのだ。というわけで最後はちょっと宣伝になるけれど、最近の訳書を二冊ほど。

一冊目は、マシュー・サイド『才能の科学』(河出書房新社)。これは昔出ていた『非才!』の改訳/改題版だ。この中心的な話は、天才というものはなく、すべては訓練時間次第、というもの。マルコム・グラッドウェルが普及させた、「何かに熟達するには一万時間(説によっては二万時間)の練習さえすればいい」という話の敷衍でもあるし、その他サイドの他の本で扱うテーマがいろいろ見られるので、お得ではある。どんな名人、達人、天才も、調べて見ると人知れず (あるいはまったく自分で意識することなく)たくさん練習しているし、また練習のない人でそういう達人の域に到達できた人もいない、という。反対に才能とかがあると思ってしまうと、練習の成果が見えなかったりすると自分は才能がないからと思ってあきらめたりする。失敗を認めたら才能がないと思われてしまうのでは、と恐れて、失敗を認めてそれを改善するという効果的な練習に必要なプロセスが機能しなくなってしまうのだ、というわけ。


才能の科学;人と組織の可能性を解放し、飛躍的に成長させる方法

これはむちゃくちゃおもしろい本だ。がんばりさえすればなんでもできる、と元気が出るのはまちがいない。が、ある意味でいやな主張ではある。ぼくやあなたがオリンピックに出られないのもアベンジャーズに入れないのもショパンコンクールで優勝できないのも、ダイエットできないのも英語の成績があがらないのも、すべては努力が足りない、練習不足、というわけ。そして、1万時間というのはどう考えても、かなり高いハードルではある。1万時間やればできる、という一方で、1万時間もやらないとモノにならないのか!

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ケイクス

この連載について

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新・山形月報!

山形浩生

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

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コメント

sanukimichiru ケイクスもおわり ずっと読んでいたのはニシタニさんについての連載漫画とこれ https://t.co/2NcVlEecdf 10日前 replyretweetfavorite

inumaro 山形浩生がたまーに書くセンチメンタルな文章は、とてもよい。しかも高野文子『黄色い本』が題材。 12日前 replyretweetfavorite

__takeda むちゃくちゃ面白かった! ありがとうございました、読み手として幸甚です。訳者かつ役者! 12日前 replyretweetfavorite

consaba 「引っ越しで荷物整理をしていたら高野文子『黄色い本』(講談社)が出てきた。」 12日前 replyretweetfavorite