特別編】ダッド好きの僕が子どもっぽい彼と付き合っている理由

2019年から2021年にかけてcakesで連載した、時代にあわせて生まれつつある「あたらしいおっさん」を見つめる連載「ニュー・ダッド」が、このたび書籍になりました!刊行を記念して、本に収録されている書き下ろしエッセイのうちの1つを公開します。人生のパートナーに必要なものは「ときめき」か、はたまた「かわいげ」か――永遠のテーマを考えます。(提供元:筑摩書房)


カバーイラスト:澁谷玲子

 ときめきは僕にとって毎日を生きる糧だ。と、いうのはとりあえず前提として、僕が夢中になるおじさんは時期によって節操なく変わるのだけど、最近ときめきまくっている男は何と言ってもオスカー・アイザックである。

 アイザックといえば、いまでは『スター・ウォーズ』にも出演したハリウッド・スターとして知られているが、僕が彼のことをはじめて認識したのはロマンティックなノワール映画『ドライヴ』でムショ帰りのどうしようもない男を演じていたときのことだ。刑務所から出たばかりですぐに犯罪に手を出すような奴で、役回りとしてはライアン・ゴズリング扮するスタントマンの主人公の恋敵だし、とくに活躍もせずわりとあっけなく死んでしまうのだけど、コワモテな風貌から溢れだす色気と優しさを隠せていない目に、僕はたちまち虜になってしまった。

 それから彼は『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』や『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』といった渋い映画の主演で確実に演技派としてのキャリアを築き、最近ではドゥニ・ヴィルヌーヴ版の『DUNE』のような大作でもしっかり存在感を見せている。同作の主役ティモシー・シャラメはいまをときめくスターとしてその美しさを放っていた……らしいが、僕には中年になってますますセクシーになったアイザックしか見えていなかった。ただ、グアテマラ出身の濃厚なハンサムのアイザックはそもそもギターも弾けて歌うこともできるコテコテの色男ぶりなので、わかりやすいイケメン役よりも、たとえば『エクス・マキナ』のときのような典型的にトキシックな中年男をやっているぐらいがいい、と個人的には思っていたのだけど、ここに来て真打が来てしまったのである。『ある結婚の風景』のリメイクだ。

 スウェーデンの巨匠監督イングマール・ベルイマンによる1974年の『ある結婚の風景』は、とある夫婦の関係が壊れていく様をじっくりと見つめる会話劇で、いまでもパートナーシップの困難をニュアンスに富んだ語り口で示した名作として知られている。その現代版のリメイク・ドラマが、オスカー・アイザック&ジェシカ・チャステインという名優コンビで制作されたのである。中年男が傷つきもがく姿を見るのが大好きな僕はその報だけで大興奮し、さらに予告編を観て鼻血が出そうになってしまった。髪と髭に白髪が混じったアイザックが妻の心をどうにか繋ぎとめようと苦しみ、慟哭している。僕は思わず声に出していた。「これですよ」。こんな彼が観たかったんですよ。

 というわけで、切ない表情で妻を見つめる予告編でのアイザックを見ながら、「カッコいい……」とつぶやき拝むのが僕のルーティンとなった。

 そんなときである。ふと隣で大きな屁をこいて笑っているおっさんを見て、ひょっとして自分はこのひとにときめいたことがないのではないか? ということに気づいたのは。彼氏のことはたしかに「好き」だと感じるが、胸をキュンと鳴らされた記憶がない。会ったことのないおじさんたちにはときめきまくっているというのに。

彼氏/夫にときめいていますか?

 ぎょっとさせられた記憶ならたくさんある。たとえばこうだ。彼氏の家の近所を歩いていると、Tシャツを限界まで上げたハーフパンツにインし、身体に不釣り合いなリュックサックを背負ったデカいおじさんが前から歩いてきたことがあった。夏休みの6歳児みたいな恰好のヤバい男性がいるなと思ってよくよく見てみると、や、あれ、俺の彼氏やん……。思わず振り返って逃げそうになったが、仕方なく近づいて「その恰好何よ!?」と聞いたら、「短パンのゴムが切れたから、ズボン落ちるもん!」と笑っている。いや、そもそもゴムの入ったユルユルの短パンを穿く50代男性って……。6歳児みたいな服装で外に出ないようにと言ったが、冷静に考えれば、そもそも大人っぽい服装の彼を見たことがないので諦めたのだった。

 他にもある。ある日、仕事の打ち合わせをしているときに彼氏からメッセージが怒涛の勢いで届き、何かと思って見ると、アパートの廊下に住民の許可なく突然防犯カメラがつけられたという。「監視されるのはイヤだ!」とプリプリ怒っていたけれど、仕事中で相手するのが若干面倒だった僕は「たしかにイヤだね~」と適当に返し、放っておいた。その日の夜、打ち合わせ先から戻って彼氏の住むアパートの階段を上っていると、ズンドコズンドコという愉快なビートが聞こえてきて、うっすら嫌な予感がする。踊り場にたどり着いておそるおそる上を見ると、おっさんがカメラの前で尻を出して踊っていた

 いや待って、あれ、俺の彼氏やん……。マジでそのまま振り返って帰ろうと思ったが、彼氏は僕を発見して大爆笑していたので、ただちにズボンを上げさせ、引きずるようにして部屋に連れ帰ったのだった。あとで聞けば、部屋のベランダから僕が来るのが見えて、わざわざ音楽を用意して待ち構えていたらしい。カメラに尻を出して喜ぶって、どこのクソガキやねん!

 要は、やることがいちいち子どもっぽいのである。僕は「ダッド」なるものに落ち着きと包容力、それゆえの色気を求めているはずだったのに、彼氏にはダッド的な要素が皆無だ。テレビで汚い言葉や下ネタが出てくる度に爆笑している姿を見ていると、いや何歳やねんとツッコミたくなる。

 そんなしょうもな話を友人たちにしていると「どこが好きなの?」と聞かれるのだが、その度に10秒ぐらい考えて、「……………………かわいげ?」と答えるしかない。しかし自分としては、これは大変に不本意なことだ。僕は「かわいげで男を許すな」というタトゥーを胸に入れて刻みたい人間だからである。ただそれは、これまで好きな男に腹が立つこともあったとき、しょっちゅうかわいげにほだされて生きてきたことの反省の表れだ。仲の良い女友だちと恋バナをしているとしょっちゅう議題に上がるのも、「なぜわたしたちは男をかわいげで許してしまうのか」だったりする。

「かわいげ」で許されてしまう男たち

 だらしないおっさんのかわいげで思い出すのが、オタクの親友U(※)が好きな『ザ・シンプソンズ』の「恋に落ちて」というエピソードだ。シンプソンズ・ファミリーの父親ホーマーといえば世のおっさんのダメな部分を凝縮して寄せ集めたようなキャラクターだが、ごく初期に最愛の妻マージに捨てられかけた経験があるのだ。
(※)「「大きなお友だち」が立派なダッドになるとき」に登場

 話はこうだ。マージの誕生日のこと。ホーマーが普段からあまりにダメ夫ぶりを発揮しているので、食事の席で彼女は姉たちに「こんな男捨てて、さっさと別の男を見つけろ」と進言されている。妻の誕生日をすっかり忘れていたホーマーは土壇場でボウリングの球のプレゼントを用意するが、マージはボウリングなどやらないので、家族一同にほとほと呆れられてしまう。それを気にも留めず、「使わないんだったら俺にちょうだい」と抜かすホーマー。球にはあらかじめ「ホーマー」と書いてあったのだ。当然マージはブチギレる。「わかった! その球はわたしが使います! 素敵なプレゼントありがとう!

 翌日ひとりでボウリングに行ったもののプレイの仕方がわからず困っているマージに、キザな男が声をかけてくる。ボウリングを教えてやるというジャックにはじめは戸惑っていたものの、ホーマーとは異なる彼の洗練された態度に次第に惹かれていくマージ。ついには部屋に誘われてしまう。

 その後、マージの心が別の男に向かっていることに気づいたホーマーは、しかし、どうしていいかわからない。そのときにホーマーが口にする台詞がUのお気に入りである。

「ピーナツバターとジャムのサンドイッチは普通、手がベタベタになる。ところが、お前が作ったのはジャムがはみ出さない。どうしてかわからないけど、きっとお前には才能があるんだろうな。いままで黙ってたけれど、これだけは言いたくて。言わなくてもわかるなんて、ウソだよな」

 そう言ってホーマーは去るが、マージは悩み抜いた結果、ジャックではなく夫のもとに戻ることになる。

 この話をUが嬉しそうにする度に、僕はブチギレてしまう。

は!? そんなんで許されると思ってんの!? ていうかサンドイッチぐらい自分で作れよ!

 そもそもの態度や問題が改善されていないのに、結局かわいげで許されていることに腹が立って仕方ないのである。その話が好きなUにもだ。

 しかし人間は自分のことは棚に上げるものだ。僕はたとえば彼氏と言い合いになったとき、スネて別室に行ったのをたいてい放っておくのだけど、彼はしばらくすると何も言わずにベタベタくっついて来て、それでうやむやにしようとする。いや、それ根本的な解決になってないから……と思いつつも、結局ほだされて、というかいろいろ面倒くさくなって、まあいいかとなってしまう。大体折れているのは僕の方で、翌日ケロリとしている彼氏にため息をつきながらも朝食を作ってあげたりする。マージと同じシチュエーションになったら、僕もきっとホーマーを許してしまう気がする。

パートナーシップにおける「子どもっぽい側」と「大人っぽい側」

「木津はかえるくん側の人間だから仕方ないよ」

 Uが言うのは、アーノルド・ローベル作による「がまくんとかえるくん」の絵本シリーズのことだ。ふたりでパートナーシップの話をするときにたびたび例に上がる話だ。


アーノルド・ローベル作、 三木卓訳『ふたりはともだち』(文化出版局)

「がまくんとかえるくん」は仲良しのカエルのコンビのがまくんとかえるくんの日常をほのぼのと描いた連作で、ある意味で理想的なパートナーシップを描いたシリーズとして評されている。とぼけた男の子のがまくんと、真面目で聡明なかえるくんのふたりはたしかにナイスな組み合わせで、性格の異なるふたりはお互いにない部分を補い合っている。

 ただ、よくスネたりいじけたりするがまくんの面倒を見ているのは、いつもかえるくんの方だ。だらしない上にちょっとしたことですぐにやる気をなくすがまくんをかえるくんは叱らずに、たいてい優しく導いてあげている。単純化すると、パートナーシップにおける子どもっぽい側と大人っぽい側を象徴するのががまくんとかえるくんなのだ。この喩えで言うなら、ホーマーががまくんでマージがかえるくんだ。Uはもちろん、自分はがまくん側だと自認している。

 自分がかえるくんのように出来た人間だとは思わないが、彼氏との関係においてはたしかに、かえるくん側だとは思う。「それって要は、損な役回りってことやん!」と怒る僕にUは言う。

いや、お互いが必要なんだよ! たとえば『ブラック・ジャック』だと、ピノコががまくんで、ブラック・ジャックがかえるくんだよね? しかも、ピノコにブラック・ジャックが必要という以上に、ブラックジャックにピノコが必要なんだよ! 損得の話じゃないんだよ。木津ならわかるでしょ?

 ……悔しいが、わかる。がまくん側の人間が言ってんちゃうぞ、とは思うけど。

 がまくんとかえるくんの喩えが「ケアされる側」と「ケアする側」の話にそのまま置き換えられるならば、いわゆるケア労働の問題になってくるし、そこにジェンダー規範が作用していないか慎重にならなければならない議論ではある。ただ「がまくんとかえるくん」シリーズは、もっと内面的な部分に触れた寓話だと思う。それにこれは、ゲイ・カップルにまつわる話でもあるのだ。

 作者のアーノルド・ローベルは1933年生まれで、絵本の絵を担当しているアニタと1950年代に結婚しているが、のちに家族にゲイであることをカミングアウトしている。ふたりの娘で画家のエイドリアンはがまくんとかえるくんの関係を男性同士の恋愛関係について描いたものだと説明しているそうで、ゲイであることをオープンにするのが難しい時代を生きたローベルにとって、がまくんとかえるくんは彼が夢見た理想の同性カップルのあり方だったのだろう。ふたりの関係には恋愛的なときめきや嫉妬や情熱よりも、優しさや思いやりがあり、ふたりがお互いを大切にしていることがよく伝わってくる

 その境地に自分はたどり着けるのだろうか? 「もっとマシな服着て~!」と外出の度に彼氏に懇願する僕はほとほと不安になるが、まあ、僕にとってもそんな毎日がとりあえず楽しいのは事実だ。

「ときめき」か「かわいげ」か—永遠の問題

 待ちに待ったリメイク版の『ある結婚の風景』を観ると、アイザック演じる哲学教授のジョナサンはおもに家事・育児を担当している設定になっていた。めっちゃニュー・ダッドやん……。しかも知的なセクシー・オーラを放ちまくるアイザックに僕は案の定ときめき倒し、いや、こんな夫いたら毎日気絶するわ……となっていたのだけれど、だからこそ次第に壊れていくふたりの関係に胸を痛めずにいられなかった。些細なすれ違いの積み重ねがリアルで、オリジナル版同様に、時代は異なれど変わらないパートナーシップの困難について思いを巡らせずにいられない。

 ジョナサンは終始素敵なのだけど、だからこそホーマーのようなわかりやすい「しょうがなさ」はなく、妻ミラは夫を愛しているがゆえに許せないことが増えていく。彼にもっと「かわいげ」があれば違ったのだろうか? もちろんそんな単純な話ではないのだろうけど、アイザックがあまりに僕の理想の中年男性像を体現していたせいで、すっかり打ちのめされてしまった。

 横を見ると、おっさんが夜中に「腹へったー」とシリアルを貪り食っている。こんな時間にそんなもん食べたらカロリー大変なことなるで、と言いかけるが、どうせ聞かないし、まあいいか……。傷ついた中年男の色気によろめくのは、フィクションのなかにしておこう。少なくともいまのところ、僕はシリアルで口をいっぱいにしているこの51歳児のことを愛おしく感じてしまっているのだから。

 ところで、彼氏のアパートの廊下につけられた監視カメラは数カ月でなくなっていた。おっさんの尻が映っているのが発見されたせいでないことを祈るばかりである。


《大切なお知らせ》
『ニュー・ダッド』が本になりました!

おっさん好きのゲイが
真面目に、ときめきながら考える
これからの「父性」「男性性」

「おっさん=古いもの、いまの社会の悪しき土台を作ったもの」とみなされる今日この頃。
それならいま「おっさん」はどこへ行くべきなのか?
国内外のポップカルチャーをヒントに、
「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめるエッセイ。

書き下ろし原稿も多数収録!
8月1日発売です。

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この連載について

初回を読む
ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん

木津毅

「おっさん=悪いもの、古いもの、いまの社会の悪しき土台を作ったもの」とされている今日この頃。ではいま、「おっさん」はどこへ行くべきなのか? 時代に合わせて生まれつつある「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめながら、これ...もっと読む

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コメント

niwashigoto "「なぜわたしたちは男をかわいげで許してしまうのか」" 5日前 replyretweetfavorite

kanaiyumiko 「かわいげ」があるとつい許してしまうという話、おもしろかった。 面倒を「見る側」と「見られる側」の人間関係の話もよかった。『がまくんとかえるくん』を読み返したいな。 https://t.co/ZmHqzJ1zy9 11日前 replyretweetfavorite

ryohoben #ニュー・ダッド 書籍版に収録の書き下ろしエッセイを公開! 「ダッド」をさんざん讃えてきた木津さんの彼氏は、なのにぜんぜんダッドらしくないらしい...? パートナーシップのリアルをめぐるお話です。ぜひご覧ください。 https://t.co/xjLeZ0xojr 11日前 replyretweetfavorite

Rei_Miyano https://t.co/4MbR3Xlonz 11日前 replyretweetfavorite