昔の人は「何者かになりたい」なんて悩まなかった
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
あなたは、「何者かになりたい」と思ったことはありますか? 自分はレールの敷かれた人生を送るような人間にはなりたくない、満員電車にゆられて上司や得意先に頭を下げて帰りに居酒屋で上司の悪口を言ってうさをはらすような人間にはなりたくない、自分には何か才能があるはずだ、自分がこの世界に生まれてきたのは何か理由があるはずだ、意味があるはずだ、それを探して、自分の生きている意味を見つけて、この人生を全うしたい、って思うことはありますか? 僕は、もちろんあります。
でも、例えば昔の日本では、そんなことを思う人はほとんどいませんでした。農家で生まれたら、自分も農業をやることを疑いませんでした。自分がなんの仕事をするべきか悩む必要はなく、もちろん「今年、米の出来が悪かったらどうしよう」という心配はあったかもしれないけど、それは「どうしようもないこと」だったはずで、毎日の農作業と家族や村の人たちとの会話、たまにあるお祭りや男女の交流、新しい家族、周りの人たちの死という体験していると、あっという間に人生は終わったんだろうと想像します。立ち止まって「いったい自分の人生って……」なんて、無駄なことを考える人は皆無だったでしょう。
僕は大学を中退して、ロンドンやリオデジャネイロに行ったり、色んなアルバイトをしました。当時は「自分探し」なんて言葉もありませんでしたが、こういうのって「ここ最近」の現象なんですよね。橘玲さんがウェブの記事でこんな話を書いていました。
今はSNSを開けば、ビヨンセやレディー・ガガ、マイケル・ジョーダンといった有名人たちが「自分らしく生きて夢をかなえなさい」「人と違っていてもいい、あなたらしく生きていけばいい」という強いメッセージを送ってくる時代です。しかし彼らのように成功できる人など、現実にはほとんどいません。「強く願えば夢はかなう」と信じて、かなわなかった人たちはどうなってしまうのでしょうか。