とにかく土下座、あるいは丸坊主
謝罪するにあたり、やたらと土下座を繰り返したり、丸坊主にしてきたりする人を定期的に見かけるが、自分の判断によって事態を沈静化できるのではないかという狙いが早速バレている。そうやって脇の甘さが漏れている状態に危機管理の無さが改めて表出しているとも言えるのだが、「よし、土下座しよう」「ここはひとつ、丸坊主だな」と思うとき、具体的にはどれほどの効能を予測しているのだろうか。昨今では謝罪コンサルタントなる職種もあるようで、そういった職種に関心はしないものの、ひとまずその主張をいくつか探ってみると、自分(たち)のミスや失敗を認め、それについて謝り、今後どうするかを伝える、という極めてシンプルな方法ばかりである。土下座や丸坊主が有効とはどこにも書いていない。
自分以外のところに責任を発生させようとする
なにかと過剰なサラリーマンドラマやヤクザ映画では、物語を動かすために土下座や丸坊主が用意されているが、それをマジで採用してみるというのは、そうか、やっぱり、物語を自分たちで動かしたい時に使われているのだろう。沈没事故を起こした知床観光船の桂田精一社長は、謝罪会見で3度も土下座をしていたが、最後にもういっちょ土下座させてもらいます、という感じの所作は、「いくら謝ったところで、とは思いつつも……」という方向性ではなく、「もう一発いっといたほうがいいかも!」という方向性に思えた。「思えた」というのはあくまでも予測だが、その後、会見での言い分と実態のズレがいくつも発覚した事実を知れば、こちらの予測はおそらく間違っていないだろう。
「天気図は常に正確ではない」と言ったり、「お客様も、一番このような(知床という)先端まで来て、できればちょっとでも走ってほしいという要望がすごくあります」とお客さんの要望に押し切られたかのような言い方をしたり、なんとかして自分以外のところに責任を発生させようと試みる意思も感じられたのだが、そういう意思をうっかり漏らしてしまうだらしなさが、そのまま、今回起きてしまった事故と直結しているのが惨たらしい。社長への怒りと、乗船していた人たちの物語を対比させるニュースが続いたが、(遺族が公開を認めたとはいえ)交際中の女性にプロポーズするはずだった男性の手紙をアナウンサーが全文読み上げるなどした、各番組の判断もなかなか受け入れられない。そもそも受け入れる、咀嚼するような出来事ではないのだが、こういった事故の後で急がれる、強い物語作りには抵抗感を保ちたい。
言い訳に活用された「コロナ禍」
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