蘇我蝦夷「息子の入鹿よ、お前は愚かで、悪いことばっかりしている」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の近刊『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

50代、人間関係にまつわる愚痴

蘇我蝦夷(政治家)

?年-645年。飛鳥時代の豪族、政治家。蘇我馬子の子。名は「毛人」とも記し、豊浦大臣とも称された。父より大臣の地位を継ぎ、のちに子の入鹿にその座を譲る。推古天皇の崩御後、舒明天皇を擁立し、入鹿とともに専横を極めた。

息子の行動で一番の豪族から滅亡へと進んだ蘇我氏

聖徳太子の没後、専横を極めたのが 蘇我 蝦夷と入鹿の父子である。

彼らは意のままに皇位を操ろうとし、反対勢力は容赦なく叩き潰した。また、たくさんの民衆を動員し、自分たちのために巨大な墳墓を築造させもした。自邸のことを「宮門」、子どもたちを「王子」と呼ぶなど、まるで皇族のようにふるまい、実際にその勢いは、天皇家に勝るかのようにさえ見えた

『日本書紀』には、聖徳太子の娘の

「蘇我臣、専国の政を擅にして、多に行無礼す。天に二つの日無く、国に二の王無し。何に由りてか意の任に悉に封せる民を役う」

(蘇我氏は、もっぱら国の政治をほしいままに操り、非道なことをしている。天に二つの太陽がないように、国に二人の王はいない。なぜ意のままに国民を使役するのか)

という批判が載っている。

しかし、『日本書紀』を読み進めていくと、蘇我蝦夷と入鹿の父子の間で、やや考え方に違いがあるようにも思えてくる。こののち、息子の入鹿は、皇位継承問題に絡み、邪魔な山背大兄王を死に追いやってしまう。山背大兄王とは、あの「聖人」聖徳太子の子どもである。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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