「タイヤを借りた日の夜、時間は7時くらいだったかと思います。携帯の電波が通じるところまでやって来ると、僕はすぐに男性に電話をかけました。とにかくもう一度お礼が言いたかったんです。ところが男性は出ませんでした。まあ、こちらが勝手なタイミングでかけている訳ですから、仕方ないと思い、その日はそれで諦めました。
翌日、タイミングもみて再度電話しました。しかしやはり繋がりません。そして、次の日も、また次の日も結果は同じでした。以後、何度かけても男性に繋がることはありませんでした。もちろんコール音はなっているので、電話番号が間違っているわけではないようでした。
あとは大体ご想像通りです。もちろん住所はわかっていましたから、訪ねることはできました。ただ、それをしなかった。いきなり訪ねて留守だったら? なんてくだらない心配をして。だけど今思えばそれも言い訳ですね。ただ、それをするのがめんどくさかったんでしょう。電話が繋がらないのだからしょうがないと、そんな甘えが自分の中にあったのも事実です」
「すみません、もらった電話番号は携帯電話だったんですか? それとも固定電話ですか?」
おれはそこで質問を挟んだ。
「携帯電話です」
「男性が自分の番号を書き間違えたということはないのでしょうか?」
「はい。その可能性も考えました。ただ、そうであれば、間違われた人が電話に出るか、着信拒否に登録するのではないかと思ったんです。僕はその番号にしつこく電話していましたから」
「まあ、そうですね」
「そうこうしているうち、ある時引っ越しのタイミングで連絡先を書いたメモもなくしてしまったんです。だから住所がわからなくなってしまって、とうとう返す術をなくしてしまいました。
本当にダメな人間だと思います。あれほどの恩がありながら、めんどくさがってしまった。ただ、ずっと心に突っかかっているんです。自業自得のくせに罪悪感から開放されたくて必死になっている。本当に自分はバカだと……ただ、こんな僕も親になります。なんでしょうね。これから子供に生き方をみられると思うと、ちょっといい加減なことはできないな、そう感じているんです。すみません、長くつまらない話、失礼しました。僕の話は以上です」
いきなり現れてタイヤを貸すだけ貸して音信不通になってしまった男。なんとも不思議な話である。貸主と音信不通になってしまったというのはおれと同じだ。こういった場合は返せなくても仕方ないんじゃないかと思うのはおれだけだろうか? 亮潤様はボンネの話をどう思ったのか。おれはチラッと亮潤を見やる────山のようだ……。おれは思う。圧倒的な存在感でどっしりとそこに存在し、目を閉じたまま開始の時の姿勢のまま微動だにしない亮潤様。だんまりを決め込んでいるところを見ると、特に個々の話に対して意見をするつもりはないということだろうか?
「借りたタイヤはその後どうしたんですか?」
山田が質問する。
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