映画『ちょっと思い出しただけ』を観た
松居大悟監督による映画『ちょっと思い出しただけ』がとても良かった。怪我でダンサーの道を諦めた池松壮亮演じる男性と、伊藤沙莉演じるタクシードライバーの女性。二人の別れから出会いまでの6年間、同じ7月26日を遡っていく。「出会いから別れ」ではなく、「別れから出会い」まで。時制が逆転しているのだが、二人の過去にどのようなことがあったのだろうと、未来予測するように物語が進んでいく。マスクをしていた二人のマスクはすぐに外れる。していなかった頃に進みながら戻っていく。
「何気ない日常」という便利な言葉は、あちこちで乱発された結果、「何気ない日常(笑)」という表記が似合うほどになってしまったが、日常の何気なさというのは、とっても強烈なもので、なおかつ奥深くから喜怒哀楽を連れてきたりする。トイレ掃除をしていて、よし、これでキレイになったとドアを閉めようとした瞬間に新たな塵が目に入っただけで、そこから「自分の人生ってなんだろう」という重い問いが浮上したりする。大げさではなく、日常の何気なさにはそのリスクがあるし、逆に積極的な可能性もある。そういうことの連鎖で人の営みが繰り返されている事実に気づく映画だった。映画を観た人からは「そんな映画だったかな?」と言われそうだが、そういう映画だったとひとまず言い張れる大きな余白が、見る側に投げられていた。
いくつもの嫌な表情
タクシードライバー役の伊藤沙莉の演技の何が良かったのだろうと映画館を出てから考え込んだのだが、「嫌な表情の充実」ではないかと思った。思ったというか、スマホのメモにそう書き残していた。喜びや悲しみという感情は極限を目指しやすい。恋愛が成就すれば、あるいは誰かが死ねば、感情は1つの方向に加速する。「ドラマチック」という言葉が証明するように、ドラマのような展開がドラマで展開されるのって当たり前の話だ。むしろ、そうではない部分を能動的に嗅ぎ取りたくなる。