伊能忠敬「草鞋もことごとく切れ、破れ、素足になり、はなはだ困窮」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の近刊『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

50代、仕事にまつわる愚痴

伊能忠敬(測量家)

1745年-1818年。江戸後期の測量家。幕府の天文方・高橋至時に天文学、暦学、測量術などを学び、その後、全国測量の旅に出た。死後、弟子たちにより『大日本沿海輿地全図』が完成。その誤差はほんのわずかだった。

測量日記に残した厳しい道中のコンディション

江戸時代後期に、実測により日本地図を完成させた伊能忠敬。その正確さは、西洋人を驚かせるほどだったという。

ところが、この伊能忠敬、元々は測量家でも、地理学者でもない。実は、ただの商人であった。

上総国(千葉県中部)に生まれた忠敬は、17歳で 下総国佐原(千葉県香取市)にあった伊能家の婿養子となる。伊能家は酒造業を営む名家であったが、家運は傾きかけ、借金がかさんでいた。

以来、忠敬は商いに精を出し、見事、伊能家を再興させた。やがて49歳で隠居し息子に家督を譲る。ここまでは、正直、ただの地方における一商人の成功譚にすぎない。忠敬がその名の通り「異能」を発揮したのは、そののちである。

本来なら、楽隠居を決め込んでもよいところだが、忠敬は隠居した翌年、江戸に出て、自分より20歳近くも若い天文学者に弟子入り。かねてより興味のあった天文学や測量を学んだのである。

しかも、彼の熱心さは、「50の手習い」どころではなく、師匠も舌を巻くほどだった。やがて、彼は机上の学問で満足せず、幕府に申請して蝦夷地(北海道)測量の旅に出た。現在のお金にして1千万円を優に超えるという測量費用も自腹で用意したという。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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コメント

sabochin すごい人だなほんとに 約2ヶ月前 replyretweetfavorite