60代、不遇・人生にまつわる愚痴
大伴旅人(歌人・政治家)
665年-731年。奈良時代の貴族、歌人。武を尊ぶ大伴氏の中心として征隼人持節大将軍となり功績を挙げる。歌人としても有名で、九州赴任中に亡くした妻に捧げた挽歌などが名高い。漢詩も嗜たしなむ。貴族としては大納言にまで出世している。
酒が好きすぎた名歌人の歌
大伴旅人は『万葉集』に約80首の歌を残す万葉歌人である。武人貴族としてもすぐれており、九州で起きた隼人の反乱鎮圧に功績を挙げている。
というより、『万葉集』編纂に関わったとされる「大伴家持の父」といったほうがわかりやすいかもしれない。
この旅人は、60歳を過ぎてから、大宰帥(大宰府の長官)となり、九州に下った。この時、名歌人山上憶良らと交わり、自身も多くの名歌を残した。
彼の詠んだ歌の中で比較的有名なものに「酒を讃むる歌十三首」というのがある。文字通り酒のよさを褒めたたえた13首の歌群である。
「験なきものを 思わずは 一坏の濁れる酒を 飲むべく あるらし」
(考えても仕方のないことを思い悩むよりは、一杯の濁り酒でも飲むほうがよいものであるらしいよ)
「夜光る 玉というとも 酒飲みて 心を遣るに あに及かめやも」
(たとえ夜になると光るという高価な宝玉であろうとも、酒を飲んで憂さを晴らすことに及びはしないだろう)