山本五十六「うつし絵に(中略)千代子と呼びてきょうも暮しつ」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

50代、恋愛にまつわる愚痴

山本五十六(軍人)

1884年-1943年。新潟県出身。父が56歳の時の子なので五十六と名付けられた。中学を卒業して海軍兵学校へ進み、日露戦争に従軍。のちに連合艦隊司令長官となり真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦などを指揮した。死後、元帥に列せられる。

手紙に残された軍人の意外な素顔

「大日本帝国軍人」などというと、お堅いイメージがつきまとうかもしれない。しかし、真面目な軍人さんであっても、もちろん恋はする。

「若いうちは誰だって恋をするものだ」

という人もいるかもしれない。いやいや、人は40歳になっても、50歳になっても恋をするものだ。「大日本帝国連合艦隊司令長官 山本五十六」も、そんな一人の人間だった。

長岡藩士の子として生まれた山本は、海軍兵学校を卒業後間もなく、日露戦争に従軍。日本海海戦において重傷を負う。その後、32歳で海軍大学校を卒業。その2年後、士族の娘と結婚している。しかし、残念ながら、今回の恋の相手は、奥さまではない。

結婚した翌年からアメリカに行き、ハーバード大学に学んだ山本は、帰国して海軍大佐から少将へと出世を遂げる頃、一人の女性と出会った。「梅龍」という名の新橋の芸者だった。

送別会か何かのお座敷で、二人は初めて顔を会わせた。山本はあまりその手の席が得意ではなかったのか、一人むっつりしていた時に、軍の局長から「山本は堅物だから何とかしてやれ」といわれた梅龍が、山本の相手をしているうちに互いの心は通じ合った。

やがて山本は源氏名「梅龍」ではなく、本名の「千代子」さんに「妹として付き合いたい」と語ったという。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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