浅沼稲次郎「三時間天下」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

20代、仕事にまつわる愚痴

浅沼稲次郎(政治家)

1898年-1960年。東京都三宅島出身の政治家。早稲田大学在学中から社会主義運動に加わり、戦後、日本社会党結成に参加。同党書記長、委員長を務めた。「人間機関車」の愛称で親しまれたが、党首立会演説会の席で凶刃に倒れた。

あまりの理不尽を回想して出たひと言

三宅島で生まれた青年浅沼稲次郎は、1918年、早稲田大学予科に入る。その前年、ロシア革命が起こり、翌年から各国が対ソ干渉戦争をはじめる。日本もシベリア出兵を起こしており、世界中で共産主義、社会主義への関心が高まる中、それらを標榜して活動を行う共産主義者、社会主義者への風当たりも強くなっていった。そんな時代である。

浅沼稲次郎は、在学中から社会主義活動に取り組んだが、学生大会で右翼の学生からリンチを受けるなど、つらい仕打ちを受け続けた。卒業後も社会主義活動を続けていた浅沼は、1923年9月、ある演説会場で異変を感じた。会場が揺れ、地面が震えた。関東大震災である。

幸い、会場では大きな被害に遭わなかったのだが、それからが本当の地獄であった。この時、「社会主義者や朝鮮人による放火が多い」とのデマが流れたのだ。軍や警察は、混乱の中、社会主義者らに弾圧を加えた。浅沼もまた、多くの兵隊に捕縛され、監獄へと送られた。社会主義者への風当たりはこのように非常に冷たかった時代である。

震災の翌々年、普通選挙法が成立し、社会主義者の間でも政党設立の動きが高まる。こうして同年12月1日、農民労働党が結成された。結成式は東京神田のキリスト教青年会館で行われ、書記長に選ばれたのが浅沼稲次郎である。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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zJU5xLbK6ftfooh 期せずして子供の頃に刷り込まれた「政治」というもののイメージは小学校2年か3年の時に図書室の本で読んだ浅沼委員長の事件。 だから駅前に立つ候補者を見るたび、心配になっていたものだった。 https://t.co/27seZpgPXp 2ヶ月前 replyretweetfavorite