30代、仕事にまつわる愚痴
聖徳太子(政治家)
574年-622年。飛鳥時代の皇族、政治家。用明天皇の皇子。厩戸皇子、豊聡耳皇子、上宮王ともいう。推古天皇の摂政として政治を行い、仏教興隆などに功績を挙げた。昭和時代には一万円札、五千円札の肖像としてもおなじみだった。
賄賂の横行について不満を書き綴る
「生まれながらに上手に言葉をしゃべり、長じては一度に十人の訴えを聞いて誤ることなく上手に裁いた」
とされる聖徳太子。19歳で叔母に当たる推古天皇の皇太子、摂政となり、天皇の政治を助けたとされている。
そんな彼が、30歳の年に発布したとされる「憲法十七条」には、こんな一節が登場する。
「頃、訟を治むる者、利を得て常とし、賄を見ては讞すを聴く。便ち財あるものが訴は、石をもて水に投ぐるが如し。乏しき者の訴は、水をもて石に投ぐるに似たり」
(最近の訴訟を担当をする人たちは、利益を得ることを日常とし、賄賂の内容を見て裁判を行っている。そのため、金持ちの訴えは、石を水に投げるようにすぐに効果が表れる[訴えが聞き届けられる]のに、貧乏人の訴えは、水を石に投げるようなものでなんの効果も表れない[訴えは聞き届けられない])
つまり、賄賂の量などによって訴訟が決まってしまうので、貧乏人には、著しく不利な状況になっている、と現状の訴訟制度に対する不満を述べているのだ。