相変わらず失礼だなと思う
『追跡LIVE!SPORTSウォッチャー』(テレビ東京)を観ていたら、フィギュアスケート男子シングルで銀メダルを獲得した18歳の鍵山優真選手について、「はじめてのオリンピック」と題した特集を流しており、そのBGMは『はじめてのおつかい』(日本テレビ系)で使われるB.B.クィーンズ「ドレミファだいじょーぶ」だった。彼のかわいい所作を切り取るようなまとめだったのだが、相変わらず失礼だなと思う。昨年の東京五輪では、当時13歳だったスケートボードの女子選手に対して、男性アナウンサーが「13歳、真夏の大冒険」と、あらかじめ用意していたであろう言葉を叫んで賞賛されていたが、こうして若きアスリートに向けられる「よしよし」的な目線は、オリンピック報道の癖になっている。
「この日のために4年間厳しい練習に耐えてきた」という前提が作り上げる緊張の瞬間をテレビの前で次々と味わえてしまうのは贅沢なのだが、なんだか申し訳ない気持ちにもなる。なぜそうなるかといえば、ここに至るまでのアスリートの物語をとっても簡素に受け止めて、良い結果が出れば感動し、結果が出なければ、その結果を悔やむ様子に胸を打つというルーティーンの発生を確認するからだろう。とにかく外からの物語作りと消費が続く。
「マネーとマネー、そしてマネーのため」
この連載をある程度読んでくれている人は、この場で繰り返し東京五輪開催に反対してきたのを記憶しているはずだが、北京五輪の開催についても、もちろん反対してきた。新疆ウイグル地区での人権問題を放置し、中国共産党の幹部から性的行為を強要されたと主張した女子テニス選手について、IOCバッハ会長が会食する機会を設けるなどして、強引になかったことにしようにしている。「ぼったくり男爵」率いる組織が何を優先しているのかがよくわかる。政治学者のジュールズ・ボイコフが「東京五輪開催を強行する理由は3つある、それはマネーとマネー、そしてマネーのため」と答えていたように、今回もまた、男爵たちの狙いに変わりはない。