斎藤茂吉「諦念して二人は一しょに歩いていた」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の近刊『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

40代、人間関係にまつわる愚痴

斎藤茂吉(歌人)

1882年-1953年。山形県生まれ。東大医学部を卒業。精神科医となり、長崎医専教授を経て青山脳病院院長になる。歌人としては、歌誌『アララギ』の同人となり歌集『赤光』などを刊行。精神科医斎藤茂太、作家北杜夫の父でもある。

茂吉の寝たきりをきっかけに仲良くなった夫婦

歌人斎藤茂吉に『妻』という名の小文がある。夫婦でヨーロッパ旅行をした時のことを綴ったものだ。そこには、西洋人と比べ「鼻の低い足の短い妻(中略)僕は黄顔細鼻の男(中略)諦念して二人は一しょに歩いていた」などの自虐的なフレーズも散りばめられている。

その後には、突然の妻の問いかけからはじまるこんな文章が載っている。

「『日本の梅干ねえ』
 『何だ』
 『おいしいわねえ』
 会話はそのまま途切れてしまったけれども、僕はその時、今までに経験しなかった一つの感情を経験したのであった」

この一節を読むと、なにやらほのぼのとした仲のよさそうな夫婦像が浮かんでくる。しかし、実際の二人の関係は、あまりほのぼのとしたものではなかった。

斎藤茂吉は山形県の農家の三男として生まれ、14歳の時に東京の開業医で同郷の斎藤紀一の家に寄寓することになる。

跡取りのいなかった斎藤家が優秀な養子を欲していたからである。その前年に斎藤家に生まれたのが、のちに妻となる輝子である。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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DADA21C 「鼻の低い足の短い妻(中略)僕は黄顔細鼻の男(中略)諦念して二人は一しょに歩いていた」 『妻』 斎藤茂吉 40代、人間関係にまつわる愚痴 福田智弘 https://t.co/hd1Y9lLbJd 3ヶ月前 replyretweetfavorite