音が聴こえてくる小説『海』

この連載では、文芸オタクの三宅香帆さんがシチュエーションに合った本を独断と偏見をもって「処方」していきます。第16回は、眠れない時に開いてほしい本を紹介します。小川洋子さんの『海』は、まさに「夢の中」のような心地を運んでくる1冊。著書『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』から特別収録。(提供元:幻冬舎)

16. 眠れないときに読みたい本

『海』
小川洋子 ( 新潮文庫、二〇〇九年)

効く一言
「なぜだろう。僕が行ったこともない遠い場所に、僕とは似ても似つかない姿をした動物が生きていて、彼らもまた僕と同じように食べたり、家族を作ったり、眠ったり、死んだりするのかと思うと、それだけで安心なんです」

小説を読むとき、頭のなかにイメージが浮かんでいる。

文章から想起される映像。それははっきりした画像であるときもあるけれど、たいていの場合、ぼんやりとした「イメージ」としか言いようがない。登場人物の顔や服装も、仕草も、風景も。あとからはっきりと思い出そうとすると、実は困難な──たとえば夢の記憶のような、ぼんやりとした映像であることが多い。

言葉を読んで、イメージを浮かべる。小説を読むって、よくよく考えてみると、なんだかすごく複雑な行為なのだな、とふと思う。

それが「音」であるときは、余計。

たとえば夢を見ているとき、無音であるとは思わない。なんとなく音も声もそこにはある、ように思う。だけど起きてからその音をはっきりと思い出すことは少ない。

頭のなかに音は鳴る。けれど思い出せない。聴いたのはたしかなのに。

小説も同じように、読んでいるとき、そのイメージが無音である気はしない。小説の登場人物はきちんと声を発し、風の音を聴く。

けれど私たちが小説を読み終え、その声や風の音の記憶を残しているかというと、残していないことのほうが多い。

はじめて小川洋子の『海』を読んだとき。こんなにも「音」を聴くことのできる小説をはじめて読んだ、と思った。それはたとえば稀に見る「音のはっきり聴こえてくる夢」を見た感覚と、よく似ていた。

眠れないときには小川洋子を読むといい! というのが私の持論である。いやー眠れないときってほんと地獄のように世界が厳しいよね……。

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この連載について

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副作用あります!? 人生おたすけ処方本

三宅香帆

「○○なとき」→こんな本を処方、という形式で書評していきます。 《効用一覧》 ディケンズ『荒涼館』→「まっとうに生きよう…」と仕事へのやる気が起きます。 司馬遼太郎『坂の上の雲』→おじさんおばさんであることを受け入れられます。 ...もっと読む

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m3_myk 『人生おたすけ処方本』試し読み連載、小川洋子さんの短編小説「海」についての回が更新されてます!一週間無料で読めるやつです。 小川洋子さんは短編集がすごく好きなものが多くて、この作品はそのうちのひとつです。 https://t.co/iDY6IidQSv 3ヶ月前 replyretweetfavorite