蘇我(そがの)ウマコ大臣(のおおおみ)の崇仏
敏達十三年二月八日、天皇は難波吉士(なにわのきし)イタビ(木蓮子)を新羅に使者として遣わしました。
九月、百済から来日したカフカ(鹿深)臣※1は、弥勒(みろく)の石像※2を一軀(く)持ってきました。
サエキ(佐伯)連(のむらじ)も仏像を一軀持ってきました。
この年に、ウマコ大臣はその二軀の仏像をもらい受け、すぐに鞍部村主司馬(くらつくりのすぐりしまの)タチト(達等)※3、池辺(いけべの)ヒタ(氷田)直(のあたい)を使者に立てて、国中に仏教の修行者を探し求めさせました。
すると、播磨国に還俗(げんぞく)した僧がいることがわかりました。名は、高句麗のエベン(恵便)といいました。ウマコ大臣はエベンを仏教の師として、司馬タチトの娘シマ(島)※4に髪をおろさせ仏門に入らせました。その尼をゼンシンニ(善信尼)といいます。当時、わずか十一歳でした。
また、ゼンシンニのおつきの者である二人の娘も出家させました。一人は漢人(あやひと)ヤボ(夜菩)※5の娘トヨメ(豊女)でゼンゾウニ(禅蔵尼)と名のりました。
もう一人は錦織(にしこりの)ツフ(壺)※6の娘イシメ(石女)※7で、エゼンニ(恵善尼)と名のりました。
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