20代、不遇・人生にまつわる愚痴
津田梅子(教育家)
1864年-1929年。津田塾大学の創立者。日本初の女子留学生の一人。華族女学校、女子高等師範学校教授として教壇に立つ。日本YWCA初代会長、万国婦人連合大会日本婦人代表などでも活躍。2024年から新5千円札の肖像となる。
愚痴で終わらず、女性の自立をみずから実行
江戸幕府が倒れ、明治政府ができてから4年目の1871年。日本が懸命に近代化、西洋化の道を突き進んでいた頃、政府高官らの欧米使節とともに5人の若い女性たちが日本初の女性留学生としてアメリカへと旅立った。その中に、とりわけ幼い少女が一人いた。彼女の名は「津田むめ(のちに『梅子』と改名)」。当時まだ7歳であった。
あまりの幼さを懸念する声もあったのだが、彼女の父親の強い希望もあり、この留学は実現した。父親の津田仙は、江戸末期に渡米しており、すぐれたアメリカの社会制度を見知っていた。そこで、本来ならずっと近くで見守っていたいはずの愛娘を向学のために、遠い海外へと送ったのだという。
アメリカに着いた梅子は、ワシントン近郊に住むランマン夫妻の家に預けられた。もちろん、英語などほとんど話せなかったが、夫妻のやさしい支えもあり、すくすくと成長。2年後には、自らキリスト教の洗礼を受けたいと申し出るようにまでなった。
こうして、アメリカで初等・中等教育を受け、英語はもちろんペラペラとなった。さらにはフランス語やラテン語、数学など理数系の学問も学び、帰国したのは11年後。幼かった少女は18歳になっていた。