津田梅子「東洋の女性は、召使いに過ぎません」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の近刊『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

20代、不遇・人生にまつわる愚痴

津田梅子(教育家)

1864年-1929年。津田塾大学の創立者。日本初の女子留学生の一人。華族女学校、女子高等師範学校教授として教壇に立つ。日本YWCA初代会長、万国婦人連合大会日本婦人代表などでも活躍。2024年から新5千円札の肖像となる。

愚痴で終わらず、女性の自立をみずから実行

江戸幕府が倒れ、明治政府ができてから4年目の1871年。日本が懸命に近代化、西洋化の道を突き進んでいた頃、政府高官らの欧米使節とともに5人の若い女性たちが日本初の女性留学生としてアメリカへと旅立った。その中に、とりわけ幼い少女が一人いた。彼女の名は「津田むめ(のちに『梅子』と改名)」。当時まだ7歳であった。

あまりの幼さを懸念する声もあったのだが、彼女の父親の強い希望もあり、この留学は実現した。父親の津田仙は、江戸末期に渡米しており、すぐれたアメリカの社会制度を見知っていた。そこで、本来ならずっと近くで見守っていたいはずの愛娘を向学のために、遠い海外へと送ったのだという。

アメリカに着いた梅子は、ワシントン近郊に住むランマン夫妻の家に預けられた。もちろん、英語などほとんど話せなかったが、夫妻のやさしい支えもあり、すくすくと成長。2年後には、自らキリスト教の洗礼を受けたいと申し出るようにまでなった。

こうして、アメリカで初等・中等教育を受け、英語はもちろんペラペラとなった。さらにはフランス語やラテン語、数学など理数系の学問も学び、帰国したのは11年後。幼かった少女は18歳になっていた。

この続きは有料会員の方のみ
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン
なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

初回を読む
なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

suerene1 津田梅子さんというのが、7歳で留学した、しかも1871年に!、女性だというのを今まで知らなかった。なるほど、そういう方もあの時代にいたのね。 https://t.co/zxgAllvzN4 4ヶ月前 replyretweetfavorite

gonai この記事、読んでから2日ぐらいもやもやしていたんだけれど、年代見たら、アメリカが南北戦争終えて現地民抹殺してKKK過激化している時期じゃん 4ヶ月前 replyretweetfavorite

nnNfGLI0u5bjJR4 #スマートニュース 4ヶ月前 replyretweetfavorite

fukuda_tomohiro 新札の「顔」としても話題の津田梅子さんの登場です! #人間愚痴大全 # 4ヶ月前 replyretweetfavorite