40代、病気にまつわる愚痴
寺田寅彦(物理学者・文筆家)
1878年-1935年。物理学者、随筆家。X線回折のラウエ斑点の研究方法の改良により学士院賞受賞。地球物理学や震災の研究でも名高く、「天災は忘れられたる頃来る」の言葉を残した。吉村冬彦、藪柑子などの名で随筆、俳句なども残す。
体の老いを物理学者らしく表現
寺田寅彦という人物を一言で紹介するのは難しい。東大教授であり理化学研究所や地震研究所などに在籍して地球物理学の研究などをしているのだから、一流の物理学者であることは間違いない。
しかし、一般には、夏目漱石に師事し、すぐれた随筆や俳句などを残した文筆家としての功績のほうが、ひょっとして有名なのではないだろうか。2020年には没後85年を記念して、随筆集が何冊も復刊されているくらいである。
文系とか、理系とかいう枠組みに意味などないのではないかと思わせるような活躍ぶりである。
そんな寺田には
「気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動が出来ず仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた」
ではじまる『厄年と etc.』という短い随筆がある。この中には
「手鏡を弄んでいるうちに、私の額の辺に銀色に光る数本の白髪を発見した」
「近頃少し細かい字を見る時には、不知不識眼を細くするような習慣が生じているのであった」
など40代となり厄年を経験した寺田が、自らの老いを感じて愚痴を述べている箇所がある。