お父さんは認知症。父のことを書いた本を、本人に見せた。

この連載を元にした書籍『32歳。いきなり介護がやってきた。』が発売された後、父親に会いに行ったあまのさくやさん。本を手渡したところ、父は思いがけない行動を取りました。

12月の上旬、ようやく久しぶりにゆっくりと父に会えた。11月末に上京した際は父が入院していて会えなかったので、書籍が発売されて以降に会うのは初めてだった。

父の入居する施設での面会は緩和されており、ワクチン接種済みの証明書を見せ、受付を済ますと意外とすんなりと部屋まであげてくれた。それまでは玄関先のみでの面会だったので、新鮮だ。

食堂にいた父はうなだれるように寝ていて、肩を叩いて「ヨッ」と起こすと、父は眠そうながら驚いた目をしていた。

車椅子で部屋まで連れて行ってもなお眠そうにしていたが、駅で買ってきたフルーツのゼリーを渡すと、父はそれを迷いなく食べ始めた。大きめな一口を小さなスプーンにのせた父の手元はぷるぷると震えていたが、ひとつもこぼさずにそれを口へ運び、ついにはすべてを平らげた。普段の食卓ではこういう生菓子や洋菓子はあまり出ないのかもしれない。食欲が減退し、痩せてきている父がモリモリとお菓子を食べる姿は、私にはとても嬉しかった。

そして、初めて本を手渡した。少し気恥ずかしい。父はそれを不思議そうに眺めたあと、パラパラとページをめくり始めた。私はしばらく、父が本を開いて読む姿を見たことがなかった。というかしばらくリモート通話だったり、玄関先での面会だったし、無理もない。私の中で、父はもう「活字を読む」行為をしなくなったと勝手に思い込んでいた。だけど父は、本を開いた。

そして、1文字1文字をたどるように、音読しはじめたのだ。

年表つきの目次は父にもたどりやすいようで、読み上げると自ずと、私たちは家族の歴史を一緒にたどることになった。父の認知症の診断がおりるとか、母のがんが発覚する…など、一つ一つを思い出していくように、過去を一緒にひもといていく。改めて父の年表を父とたどることはしていなかったし、この本が、お互いの認識をすりあわせるツールになるのか!と、とても驚いた。

漢字に詰まりながら、読み間違いもしながら、それでも大筋で読めている。こんなに父がまだ字を読めるとは驚きだった。文字は読めるが老眼なので、読むうちにキョロキョロと老眼鏡を探し始めた。絶対にあったはずなのに見つからないのは、しばらく不要だったからなのか、使っていたからなのか。

詰まっているように見えたので、「朗読しようか?」と私が聞くと、「いや、自分で読めるよ」という。そうして父は、ゆっくりと、ゆっくりと読み進めていた。

父が読んでいく声を聞いていると、なんとも言えない幸せ感に包まれた。何よりも、「読む気」がある父の姿が嬉しい。

美味しいゼリーを完食する父。自分のことを書いた娘の本を読もうとする父。ああ、父の意思がまだこんなにも残っている。どんどんしぼんでいってしまうイメージを私が持っていたのだ。ごめんね。

まだまだ父には、こんなにも、可能性があるんだ。

「まだまだ舐めるなよ」とでも言わんばかりの、父の姿勢を感じた。


夢のある介護家族でいたい

父は今、69歳だ。まだまだこれからという年齢だとは思うのだが、アルツハイマー型認知症に加え、数回のてんかん発作を経て、父の体は日々弱っている。
駅まで外出して、喫茶店でお茶をしようね。映画館にいくのもいいかなあ。
新型コロナウイルス流行前には、父とそんな話をしていた。本当に叶えるつもりだった。あ、過去形で言ってしまったけれど、今も諦めていない。

このまま父は、かなり近い将来に、まったく歩けなくなったり、座っていられなくなったり、ついには弱りきって寝たきりになってしまうのだろうか。近くにいても避けられないものはあるけれど、遠くに住んだ分、できることはいっそう限られてくる。

兄と弟は、どこか現実的だ。父と同性だから割り切れているのかどうか。それはわからないが、ある程度こうなるだろうという予測が立っているような感じで、父が到達するそれぞれのフェーズを受け入れているように見える。一方の私は、父のことをまだまだ諦めたくなくて、しょうがない。

いつか父を一度、私が今いる岩手に連れてきたいとも思う。夏の、どこまでもだだっ広い青空と、遠くに囲まれる山々を一緒に見たい。おいしいリンゴジュースも飲ませたい。移住先の紫波町で出会った看護師さんにサポートもお願いできそうだ…などと、どこか現実的な夢を抱いている。実際父を2時間新幹線に乗せられるかというと、それ自体がかなり父には負担になるだろう。だけど今の私には、まだまだ諦めたくないという気持ちが残る。

図書館や本屋で介護のコーナーに立ち寄っては、認知症の母親を連れてベトナムに移住した女性のエッセイ(『ベトナムの風に吹かれて』(角川文庫))や、難病の母親とのウィーン旅行を実行した女性のエッセイ(『おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する』(雷鳥社))などを手に取ってしまう。周囲の反対がありながらも、意思を持って抗って、前向きさを失わない人たちの姿にどこか憧れてしまう。

しかし現実問題、何をどう実行するかは、父自身がそれを望むかも考えなければならない。絶対的に体力を消耗する行動をするよりも、ベッドで寝続けていたほうが父は体が楽だし、それを望んでいる可能性は高い。だけどあちこち旅行したり、買い物をしたりするのが好きだった父の残像も、私の中にはまだ残っているのだ。かつての父が好んでいたことを、今の父が望むだろうか。あるいは私の自己満足なのだろうか?

介護と自己満足

これをしたら父が喜ぶんじゃないだろうか。いや、自己満足か? この葛藤は、いつでもつきまとう。今は父もある程度意思を表示してくれるものの、今後もっと進行したら、自分の意思の提示も難しくなり、汲み取っていくしかないかもしれない。

父とこの先、あと何年一緒にいられるのだろう。そう思えば思うほど、父のためにこれをした、あれをした、という実感が欲しくなるときがある。それはまるで、心の中でスタンプカードをためるかのようだ。スタンプをいくつためればいっぱいになるのか、そのゴールはわからない。だけどスタンプカードが真っ白なまま父が遠くに行ってしまったら、きっと後悔してしまうだろう。

父の希望や気持ちを100%正しく汲み取れるかどうか。家族といえども超能力者じゃないのだし、難しい問いだ。だとすると、ある程度、私が父に何をできたか、という尺度も介護家族にとっては重要になる。そして介護が続く限り、自己満足との戦い、あるいは共存は続くのだろう。

自問自答しつつも、私はまだ、父と行きたい場所の最終目標を、車で10分の最寄り駅にはしたくないな、と思っている。父の体調を知る人ほど「そんな無茶な」ということだとしても、私自身がそんな夢を持つのは、別に悪くないことではないか。夢は、できるだけ遠くまで持っておきたい。それなら結果的に、最寄り駅よりも遠くにいけるかもしれないのだし。

自分の基本性格は変えられない

私の基本性格は、わがまま娘なのだ。大人びたふりをして選択を取り下げても、”ふり”をしているだけだから、どうせ後から駄々をこねてしまう。私は自分のわがまま娘ぶりを、自分に許していたし、多分両親なら許してくれるだろう、と思っていた。都合のいい考えだし、葛藤はいくつもあった。だけど我が家の場合においては、その時の最適解を選ぶ基準のひとつがそれだった。

その結果、私は最近知り合った人に、「あまり深刻そうに見えない、なんだか楽しそうだね」と言われるようになってきている。それはつまり、わがまま娘の私が、母がいなくなっても父の認知症が進行しても、両親との関係性はあまり変わらずにいられているということではないだろうか。

要介護認定という言葉も知らなかった30代の私に突如ふりかかってきた介護。その手探り状態について書いた手記に、まだ終わりは見えない。

『32歳。いきなり介護がやってきた。』という本は、まず何よりも、もし私のように両親の病気などの要因で八方塞がりになっている人に、とにかく届いて欲しいと思っている。
もしもそんな人たちに届いたとして、たいそうなことはいえないけれど、その人が自身の基本性格を保てるような決断ができたらいいなと切に願う。

わがままな娘の私と、時をかける父とのせめぎあい。生活、未来はまだ続いていく。
できるだけ長く、続いていきますようにと願うばかりだ。


ただいま過去のお話も無料公開中です(1/18まで)。

第8話

第9話

第10話


この連載が本になりました。誰もが直面する可能性のある親の介護と死を透徹した目で見つめる、あまのさくやさんのエッセイです。

この連載について

初回を読む
時をかける父と、母と

あまのさくや

新卒で入社した企業はブラックだった。入社2年目の24歳の時、父と2人でのニューヨーク旅行。なんだか父の様子がおかしい…。父は若年性アルツハイマー型認知症だった。徐々に変わっていく父と、取り巻く家族の困惑。そんな中、今度は母に末期のがん...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

sanukimichiru 岩手はいいところだよ 2日前 replyretweetfavorite