40代、不遇・人生にまつわる愚痴
ビスマルク(政治家)
1815年-1898年。プロイセン、ドイツの政治家。プロイセン首相として軍備増強を断行。ドイツの統一を実現して初代宰相となる。以後も20年近くその地位にいた。パプアニューギニア北東部の「ビスマルク諸島」などにその名を残す。
組織にありがちな反対に苛立つ
ドイツが「ドイツ帝国」として統一されたのは、1871年。日本で明治政府が動き出した約3年後に当たる。それまではプロイセンなどの諸邦に分かれた状態だった。このドイツ統一に功績を挙げたのがビスマルクである。
統一の大きなきっかけとなったのが、プロイセンの首相であった当時47歳のビスマルクが、議会で行った演説(鉄血演説)である。
「現下の大問題は言論や多数決によっては解決されない。1848年と1849年の過ちはそこにあった。それは鉄と血によってのみ解決される」
統一などの大問題は、議会による論争や多数決では解決されない。それは「鉄(=武器)」と「血(=兵士)」によってのみ解決されうる。平たくいえば、議会の賛否にかかわらず、軍備を増強する、ということになる。
この政策は、結果的に成功する。軍備を増強したプロイセンは、オーストリアやフランスとの戦争に勝ち、他のドイツ諸邦を味方につけ、ついにプロイセンを主体としたドイツの統一、ドイツ帝国の成立を成功させたのである。ドイツ帝国の皇帝にはプロイセン王が就任し、ビスマルクが宰相となった。その手法は民衆蜂起などの「下からの改革」ではなく、少々強引な「上からの改革」であった。
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