ビスマルク「1848年と1849年の過ちはそこにあった」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

40代、不遇・人生にまつわる愚痴

ビスマルク(政治家)

1815年-1898年。プロイセン、ドイツの政治家。プロイセン首相として軍備増強を断行。ドイツの統一を実現して初代宰相となる。以後も20年近くその地位にいた。パプアニューギニア北東部の「ビスマルク諸島」などにその名を残す。

組織にありがちな反対に苛立つ

ドイツが「ドイツ帝国」として統一されたのは、1871年。日本で明治政府が動き出した約3年後に当たる。それまではプロイセンなどの諸邦に分かれた状態だった。このドイツ統一に功績を挙げたのがビスマルクである。

統一の大きなきっかけとなったのが、プロイセンの首相であった当時47歳のビスマルクが、議会で行った演説(鉄血演説)である。

「現下の大問題は言論や多数決によっては解決されない。1848年と1849年の過ちはそこにあった。それは鉄と血によってのみ解決される」

統一などの大問題は、議会による論争や多数決では解決されない。それは「鉄(=武器)」と「血(=兵士)」によってのみ解決されうる。平たくいえば、議会の賛否にかかわらず、軍備を増強する、ということになる。

この政策は、結果的に成功する。軍備を増強したプロイセンは、オーストリアやフランスとの戦争に勝ち、他のドイツ諸邦を味方につけ、ついにプロイセンを主体としたドイツの統一、ドイツ帝国の成立を成功させたのである。ドイツ帝国の皇帝にはプロイセン王が就任し、ビスマルクが宰相となった。その手法は民衆蜂起などの「下からの改革」ではなく、少々強引な「上からの改革」であった。

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コメント

sabochin 歴史において西暦全然覚えてないから一方その頃この国では…みたいなのがパッと出てこなくて悲しい 色んな国の年表並べたの欲しいな 4ヶ月前 replyretweetfavorite